香取神社 埼玉県幸手市平須賀 旧・村社
現在の祭神 経津主命
[合祀] 軻遇突智命・大己貴命・豊城入彦命・菅原道真・倉稲魂命・猿田彦命
本地 十一面観音

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

香取神社

  幸手市平須賀1580(平須賀字本村裏)

歴史

 鎮座地の平須賀は、中世には百二十三か寺の本山として大きな勢力を持ち、近世には十三石の朱印地を領した真言宗の宝聖寺が地内にあることで知られている。 当社は、この宝聖寺の北に接しており、神仏分離前は宝聖寺の末寺の一つである満願寺が別当を務めていた。 現在、本殿には、往時の本地仏である十一面観音像が安置されている。
 満願寺の僧が著した「香取神社縁起」によれば、当社は、応永三十二年(1425)十一月二十日の明け方に同寺の住職秀覚が夢の中で、童子の姿をした神から「この地に必ず七柱の神祇を勧請すべし」とのお告げを受けたため、村人と計って七柱の神を祀ったことに始まるという。 しかし、この話にある「七柱の神祇」とは、どういう神々で、それがいつ現在のように経津主命一柱だけを祀るようになったのかということは、何も記していない。 また、享保十九年(1734)に正一位の神位を受けるに当たって、氏子が神祇管領の吉田家にあてた願書には、この「縁起」と童謡の伝承が記されているが、その文中に「縁起等無之候」とあることから、「縁起」は、これ以降に口碑などをもとに記されたものであると考えられる。