香取稲荷神社 埼玉県さいたま市岩槻区新方須賀  
現在の祭神 経津主命 <香取社>・倉稲魂命 <稲荷社>
本地 十一面観音

「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」

香取稲荷神社

  岩槻市新方須賀1056(新方須賀字居附)

歴史

 当社は、この新方須賀村の鎮守として祀られてきた神社で、その社名が示している通り、香取神社と稲荷神社の合殿である。 しかし、この合殿は明治末期の政府の合祀政策によって誕生したものではなく、江戸時代から合殿として祀られてきたものであることが、二間社流造りという本殿の建築様式や、天保十一年(1840)に神祇伯家から受けた神璽筥に「正一位香取大神宮・稲荷大明神」と両社の社名が併記されていること、宝永六年(1709)に奉納された二面の木製の神鏡形には各々「香取大明神」「稲荷大明神」の文字が刻まれていることからわかる。
 ただし、合殿とはいっても、その主体は香取神社であったことが、「かんどりさま」という通称や、『風土記稿』須賀村の項の「香取社 村の鎮守となす」という記述からうかがえる。 また、当社の創立は『明細帳』に「明徳二年(1391)三月勧請」とあるが、明確な根拠を欠く。

信仰

 江戸時代には、当社は地内の真言宗円乗院の持ちであったが、神仏分離によって同寺の管理を離れた。 その後、円乗院は廃寺となったが、現在も当社の本殿には神仏分離まで本地仏として祀られてきた直径21.5センチメートルの十一面観音座像の懸仏が安置されている。 この懸仏は、表面に金箔が押された美しいもので、「武州岩附領須賀村氏子中」と彫られており、円乗院の跡地すらわからなくなってしまった今となっては、神仏混淆のころの信仰の様子を伝える貴重なものといえる。