勝部神社 滋賀県守山市勝部1丁目 国史現在社(物部布津神)
旧・郷社
現在の祭神 物部布津命・火明命・宇麻志間知命
[配祀] 住吉神・猿田彦命
本地 勝軍地蔵 千手観音

「近江国輿地志略」巻之四十三
(栗太郡第五)

勝部明神社[LINK]

〇勝部明神社  勝部村に在。 土俗云、本地勝軍地蔵なりと。 祭神詳ならず。 延暦年中慶俊建立すと云。 毎年正月八日、仁王会の執行と号し、柴を以龍蛇の形を作る。 長三間半、太さ八尺許、夜に入て火を点ず。 神事四月初の申の日

「近江栗太郡志」巻四

物部村 勝部神社[LINK]

勝部神社は物部村大字勝部に鎮座す、 祭神物部布津命、火明神、宇麻志間知命なり、 社伝に大化五年八月物部宿禰広国此地を領し其祖神を祀り物部郷の総社とし物部神社と号すと見ゆ、
[中略]
(社蔵文書) 御神記
勝部村の物部大明神は孝徳天皇大化五年物部宿禰広国と申す人の御勧請と申伝へ候 御本地は勝軍地蔵と申候

同巻五

物部村 安楽寺[LINK]

安楽寺は物部村大字勝部に在り黄檗宗なり、 推古天皇の御代草創の古刹にして本尊千手観音は勝部物部明神の本地仏なりといふ

「日本の神々 神社と聖地 5 山城・近江」

勝部神社(小栗栖健治)

 物部布津命・火明命・宇麻志間知命を祭神とし、明治以前は勝部大明神・物部大明神と称されていた。 本地は地蔵菩薩で、勝軍地蔵として信仰を集めた。
 慶長二年(1597)の奥書をもつ『勝部大明神紀』によると、この地は栗太郡物部荘玉岡郷勝部里であり、大化五年(649)八月、物部宿禰広国別人連が勝部里を領し、祖神として物部布津神・火明命・宇麻志間知命の三神を祀ったのが当社の創祀であるという。