吉備津神社 岡山県岡山市吉備津 式内社(備中国賀夜郡 吉備津彦神社〈名神大〉)
備中国一宮
旧・官幣中社
現在の祭神
正宮大吉備津彦命
[配祀] 千千速比売命・倭迹迹日百襲姫命・日子刺肩別命・倭迹迹日稚屋姫命・彦寝間命・若日子建吉備津彦命・御友別命・仲彦命
本宮大倭根子彦賦斗邇命(孝霊天皇)・大倭玖邇阿礼比売命
内宮(本宮に合祀)百田弓矢比売命
新宮(本宮に合祀)吉備武彦命
摂社・岩山社建日方別神
摂社・一童社天鈿女命
御崎宮(中陣)東笏御崎神浦凝別命・鴨別命
西笏御崎神稲速別命・弟彦命
御崎宮(外陣)艮御崎神温羅命・王丹命
巽御崎神楽楽森彦命・留玉臣命
坤御崎神櫛振命・小奇命・真振命
乾御崎神真楫命・真綱命・真艪命
南随神門犬養健命・中田古名命
北随神門日芸麿命・世目麿命
本地
正宮虚空蔵菩薩千手観音阿弥陀如来
新宮阿弥陀如来・観世音菩薩・大勢至菩薩
内宮薬師如来
岩山(地主権現)地蔵菩薩
一童不動明王
八将軍東笏御前毘沙門天
西笏御前毘沙門天
艮御前毘沙門天
乾御前毘沙門天
随神北門官人薬上菩薩・薬王菩薩
南門官人薬上菩薩・薬王菩薩

「備中誌」(加陽郡 巻之八)

一品吉備津宮

吉備津宮之記[LINK]
此説ハ小早川秀雄輯録する所諸説紛々として其得失定めがたし故に、今是を雑記して引據に備ふ。 但し予が筆記せしと重出せるハ省之て不記。
庭妹郷の内、宮内村昇龍山に鎮座す。 御朱印百六十石。 社人六十余家。 頭社家五人、従五位下ニ叙す。 外宮、内宮、本宮、新宮、岩山、各五社。 本社、拝殿、前殿、廻廊〈本宮ヘツヽク長サ百六十間横一間半〉、釜殿、御供所、随神門〈二ヶ所〉、石鳥居并木造鳥居、内宮社、摂社〈二十五宇〉。 秀雄云、皇国古より神社といふ物なし。 崇神帝の朝、塚印の樹森等又神廟なとを祀りて神とせしにて、今の社宮造の事ハ聖徳太子以後の事なり。 延長の古記、応永の古書等に據ハ、鬼の城新山の吉備津大明神の社ハ用明天皇二年に始て社といふものを造れり。 此宮内の社ハ推古天皇元年に始て坐と神祇正宗に見へたり。 然則推古元年始て此社を造れりしか。 吉備津縁起曰〈作者不知〉、崇神帝御宇天津社国津社三人作者三国の鎮守被定置云々。 然ハ崇神帝の朝始て神を祭る式起りしにて、神廟或ハ森木等を祀りて神と崇めしにや。 御諡号崇神と申奉るもことわりに聞ゆ也。 此頃ハ釈氏の未来以前なれば、推古の朝初て社を建て、聖武帝の朝別当寺なと出来たるにや。
大祭三月十九日より四月十九日迄三十日の間、御会式あり。 又九月未申の日大祭有。 三十日の間を市と云。 古代ハ是を経市といへり。 そハ、社僧神宮寺、大願寺、八徳寺、金剛寺、妙仙童寺、法徳寺、月心坊、其外多く社前に列し、大般若を転読なす故に名とす。 御神体ハ聖武の朝出來る也。 今の神号も始る也。 是より前ハ只御廟を祭れる也。 中古吉備津宮縁起にも、聖武帝自筆に心経を書て吉備社に送聖霊名号と載す。 吉備津彦名神と云号も此時始て起るか。 聖武帝諡号を奉らる事ハ蓋明白也。 浮屠氏盛になりて本地垂跡と云事を作り、其神を祈りて功験を求めん為に起る。 本願寺の遺書に云、本地虚空蔵菩薩三形如意宝珠の形と見へたれども今ハなしといへり。 是全く寺社口論の後、社人等古作の仏を土中に埋む、故に後折々仏体其外種々の器を掘出す事有。 寬政中藪の中より御光計を掘出せし事も有。 彼如意宝珠の類も是等の害にかヽりしなるべし。
伊奘泄利彦命像、御本地虚空蔵菩薩。
内宮御像、御本地地蔵。 二所媛宮、其外二柱、御本地仏観音或弥陀。 各七所、御正体有。 客神像各二所ツヽ、本地毘沙門天。
内陣東西二対ツヽ合四対御崎像。
外陣東西二対ツヽ合十二神。 辰巳隅、一童子像、本地不動明王。
北官人二所、薬王、薬至と有。
随神門木像の裏ニ今空地有ハ、古の本地毘沙門天の像有し跡なれば也。 右内陣の仏二体の外ハ、皆地中に埋むと云。
惣て神体木像等ハ、仏家の業より起りて、衆生をして眼前信を起さしめんが為なり。 女体ハ二宮皷宮内陣に鎮座するのごとくならんか。 其形髪をさけ手をこまぬきし御像有。 大古の風見ゆ。 吉備津の内陣女体ハ髮を結び唐女のごとくなれども、二宮のごとく古代の形といふべし。 六條院村牛頭天王社の像も二宮内陣の如し。
[中略]
永享元年大江民部盛行筆記云、孝霊天皇是夫婦当社の御事也〈岩屋ノ吉備津カ〉。 御子男女六人吉備三ヶ国の一宮と成給ふと云。 是今の宮内の事にや。 日本書紀曰く、彦国牽天皇〈孝元〉、次倭迹々百襲媛命、次彦五十狭芹彦命、次彦狭島命、次稚武彦命、次倭迹々稚屋媛命、以上六人を載たり。 百襲媛と吉備津彦命、御母ハ国香媛也。 永享二年記云、孝霊帝三男三女有。 第一孝元天皇、第二越前一宮、第三備中一宮、媛宮第一備前一宮、第二尾張一宮、第三讃岐一宮、備後一宮ハ一門也と有。 大系図云、彦狭島命母絙某弟、稚屋媛命母同彦狭島と有。 実ハ御一門を御兄弟となせるにや。
右吉備津彦命御兄弟六人之内、孝元帝を除ケ、御母国香媛を合して六柱の神となし六所御正体と云り。 又神社考、社家の説を載す。 孝霊天皇三子、其一ハ備前一宮、其一ハ備中一宮、其一ハ備後一宮、と有ハ、又其言のごとし。 或書戴、備前吉備津社曰吉備津媛大明神なるを神人又改為吉備津宮。 秀雄云、本願寺古記ニ内陣の尊像の内に二所の姫宮と有ハ、備前備後の一宮の御像なるか。 又曰、備前一宮本宮の社に女体の尊像を安置す、是上古吉備津姫大明神の御木像なるか。 袈裟のごとき物に蓮花の付たる有を、神人悪之て、今ハ御本社の内陣を出したるといへり明けし。 備前吉備津ハ姉宮の社の故に延喜式不載之もの備中と一社なれば也。
[中略]
従徃古両部之事[LINK]
両部習合の事ハ用明天皇の御宇、聖徳太子僧仏を用て吾国の教助と為へしとて、是より肇て両部の法出来るしより、欽明、推古、聖武、桓武の天皇勅詔に依て諸州に寺を造り、神社を預り知る事とはなりぬ。宮内神宮寺、本願寺等も聖武帝の朝草創有て吉備津御社の事大小となく掌之也。 本願寺遺書、徃古ハ内陣の朱イ丸柱の間に行事壇を搆へ、左行事、右行事とて法洛を行ひ、神前に鰐口を掛て、虚空蔵の種字त्राः{trāḥ}字を置たる香爐等もふけ有しが、享保十六年の頃取下し、求聞堂に打込有。 其後此堂取毀ちける時紛失せし由、享保十八年の記に見ゆ。 或ハ云、香爐種字はヤスリニて摺かとし、正徳中賽銭箱に仕替しとぞ。 社人等仏寺を廃してすべて唯一の法に更しめ後ハ、昔より寺院の抅らさる事にて、素より純粋の神道といへども、正殿も仏閣造り丸柱にてカツヲギもなかりしを、後世是を造也。 又諸堂も数多建並びて、既に神宮寺、本願寺等ハ社内に居し、社人の住居ハ社の外に有にても、其昔寺院の専務なる事を知べし。 加陽兵部、同治部右衛門、同主殿、藤井甚内等五人、寬文三年十一月、本願寺、神宮寺を潰せし悪報忽ちに至りて、享保二年、加陽氏等医者を殺害せし事有。 此旨公庁に達し、同三年各罪を蒙りて断絶に及ひしか、兵部が跡、今ハ堀家光政に其墓を祀り、刑部後は有か無かのごとくに無産の軽輩に落ふれ、其余悉くに滅亡せしハ、目前の因果恐るへき事也ける。 さしもの本願寺等、聖武帝より寛文三年迄一千七十年にして廃し、寬文三年より享保三年迄五十五年にして、又加陽の一類滅亡す。 悪を釀する者、神明なんそ罸せざらん。 はた仏像を毀ち捨、或ハ土中に埋みし崇りならんか。 今内陣残れる阿弥陀并観音像も、彼崇りを懼れてのこせるにや。

吉備津新宮社
東山に鎮座。 本社〈一間半二間〉、釣殿〈一間一間半〉、前殿、石鳥居、馬場先ニ有。 山のひらに古への廻廊の跡残れり。 今ハ山林と成。 御本地薬師如来の古作有。 祭神吉備武彦命御夫婦也。
[中略]
社壇造立ハ推古天皇の朝と云。 別当寺も又同時にて、昔は法応寺、月心坊、真如院也。 今真如院残りて二ヶ寺は廃寺と成。 〈委細ハ真如院の條に出す〉

吉備津内宮大明神
御社寺谷に有。 昔の宮造りハ礎の跡のミ残せり。 山頭馬塲の跡有。 祭神吉備津彦命御后百田弓箭媛命。

吉備津本宮大明神
御社瀧ノ宮の前に有。 本社、釣殿、前殿、木の鳥居有。 内陣ニ古作の本地仏の像を安置せしを、社官の輩例の仏道を悪んて孝霊帝の御社とし、彼の仏像をハことごとく藪の中に埋めしと云々。

吉備津姫大明神
備前国宮内村に鎮座す。 今ハ村名を一宮と云。 但し備前国の一宮なれは也。 旧事紀に吉備津彦、吉備津姫と有ハ蓋し此宮の事か。 昔内陣に女体の像を安置せしか、今は本宮の社に有。 神官等、袈裟に似たるに蓮花の紋付しを忌みて不用といへり。 蓋此宮備中宮内の末社なるか。 吉備津姉宮の御舘ハ備前高月郷に有と縁起に見ゆ。 此地に社有ハ、備中宮内の末社なればなり。

「備中吉備津宮縁起」

夫南閻浮提日本国山陽道備之中州一品聖霊吉備津彦大明神者、 忝仁王七代孝霊天皇第三皇子、彦命親王、 為吉備三州征伐将軍、領掌海陸、始而攻平逆徒、
吉備津冠者、則現霊神、生衆生済度悲願給、
[中略]
正宮内陣六所、王子二所、姫宮二所、
内宮、婦人二所、又客人二所は備後・備前の御前也、
飢饉時、一宮食机破こと有度々、 社人奇之時、夢告云、 備前宮において、日供遂日不備之間、奉副之給云々、 仍備前・備後二神供物二膳副備之、
内陣中、東西左右各二所、名笏御前(衣冠下襲)、
内陣下、東西左右各二所、 東艮御前、赤衣也、 西号乾御前、赤衣なり、 已上八所は本地毘沙門天、則八将軍也、 後戸下東西左右各三所、東西合六所御前、 二所は夜叉形也、四所は着衣冠、 一宮下向の時梶取忍海氏、上古神主先祖也、
北門官人二所、本地薬上薬王、表折伏門、
南門官人二所、本地薬上薬王也、表備受門、
岩山、吉備山地主権現、本地地蔵菩薩也、
内宮、或説曰、母神、本地薬師如来也、
一童御前者、明仙童子也、 奉相慈覚大師建立東山神護寺、如法経求門持修行、 一童従天有来下、示現当社深秘、 神宮寺安置千手観音、氏寺現弥陀尊容、 懸宝前於弥陀名号、当社は蓮花虚空蔵なり、 以此、可准知、 明仙童子、円澄に委語給、 其後於東山麓、見失御影、 於于今、東山の護法善神は、明仙童子也、 今、一童御前、是也

「備中吉備津宮縁起」

 五社次第
正宮内神六所 本地虚空蔵 或千手或阿弥陀
彦命尊 婦人地蔵王子
又有客神二所 備前・備後と云
[中略]
内陣中東西左右各二所 (号□御前 衣冠下襲)
内陣下東西左右各二所 (東号丑寅御前 赤衣 西号戊亥御前 赤衣)
 巳上八所本地毘沙門天
後戸下東西左右各三所、東西合号六所御前、二所は夜叉形也、四所は冠装束、彦命尊呉下向時、梶取云々、忍海氏上古神主先祖也、
御宝殿、後戸の外、辰巳の角に一童御前、本地不動尊、
北門官人二所 (門客神也、本地薬王薬上是也) 表は折伏門
西楽屋 南絵像御前 (博賀神主 賀陽氏先祖也)
岩山 (彦命尊、吉備津冠者下幸以前には、地主也、本地地蔵菩薩)
本宮 或説、正宮には俗躰を奉崇、本宮には真躰を奉崇云々、[中略]
内宮 御存日宮跡、[中略]本地薬師如来、
新宮 御宮の西の山麓に丑寅御前崇め奉る、或除新宮、加一童社、五社とも崇可在之

「備中吉備津宮五社明神記」

本宮(南面、所祭之神今二座、孝霊天皇・妃倭国香媛命、亦祭神)
奉斎孝霊天皇之御霊、在玉体形像、非可奉伺敢於凡人、最モ尊シ、 玉体之西、御右ノ脇ニ、婦人之尊形坐マシマス、則妃倭国香媛命也、
[中略]
内宮(北面、御社一宇)
孝霊天皇之婦人之神、妃倭国香媛命之御霊魂奉斎也、
[中略]
新宮(西面、御社一宇、三社造也、 内陣者弥陀三尊也、両部習合之社也)
御垂跡
吉備武彦命(中央座)
日本武命(左座)
武内大臣(右座)
[中略]
岩山宮(神体岩坐、当山之地主神也、所祭之神、住吉太神之荒御魂神也、表津海童 表筒男神 中津海童 中筒男神 底津海童 底筒男神)
正宮(向北座、所祭之神七座)
吉備津彦命(一座)
婦人之神(一座、西之相殿之神)
王子并新加之神(一座、東之相殿座)
三王子空中御前(三座、東之相殿座)
絵像御前(一座、西之相殿座)

「仏像図彙」

三十番神

吉備大明神(三十日)

備中国賀夜郡
孝霊天皇の御子吉備津彦命也
本地虚空蔵
[図]