「三国名勝図会」巻之二十九
尾下、池辺、大野の三村に跨り、北面は伊作邑の和田村に属し、峯は当郷に係る。
絶頂に三峯を分つ。
本嶽、東嶽、北嶽と呼ふ。
三嶺哨尖にして、東北の両嶽は本嶽に比すれは稍低く、さながら山字に形似せり。
直上数千尋儼然として、空に聳へ、虚を凌き、気像森爽たり。
本藩西南方の名山なり。
本嶽の頂きに蔵王権現社を建つ。
此の山の本社なるを以て、本社嶽とも唱へ、東嶽に文殊堂、北嶽に妙見堂あり。
因りて又東嶽を文殊嶽、北嶽を妙見嶽とも称せり。
山足に別当寺あり。
金蔵院と号す。
山中に権現の役使し給へる神馬ありとて、社殿或は社庭に馬蹄の跡見ることあり。
又此空山時として鶏鳴の声を聞く。
神異一ならざるの霊区なり。
故に別当寺の住持は、謹厳にして勤修怠らざるものにあらざれば、必ず災害を蒙るとかや。
その社及ひ寺等の事は、下の各條に載るを看るべし。
蔵王権現社
金峯山本嶽の最頂にあり。
祭神勾大兄広国押武金日尊、即チ安閑天皇なり。
推古天皇の二年、日羅和金峯山に擬して、勧請したると云。
[中略]
祭祀九月九日、同十九日、二十九日。
廟の右に古石塔あり。
初め廟を建る所なり。
今の所に遷すに及んで、塔を建て、その表とす。
昔し伊作又四郎善久、嗣子を当社に祷り、毎月丑の時参詣す。
三年に及ぶの夜、山中に於て白衣の神人出現し、善久に告て曰く、汝ち方に文武兼備の男子を得べし。
言畢て化し去る。
翌夜善久の孺人夢む、金峯山の三峯変して白飯となり懐に入ると。
かくて梅岳君生す。
故に人以て君は金峯山の降神なりと称ぜり。
また君の御子大中公の生れ給ふにも、梅岳君の孺人当社の霊夢を感ぜられしと云。
是のみならず、往々霊験著明の神なれば、土人の敬畏は言に及ばず、世々の邦君も特に崇礼し給ひ、奉納の諸品甚多し。
[中略]
○文殊堂 当山東嶽の嶺にあり。
○妙見堂 当山北嶽の嶺にあり。
○属社の類
火焼 本嶽の嶺、本社の前に一大嶽あり。
其嶽上を火焼と唱ふ。
春秋彼岸毎に、金蔵院主、此嶽上に於て一七日火を燃し、以て故事とす。
院主曰、往古火供養の遺式と相伝ふと。
△国見石 本嶽の東面五歩許の下にあり。
高サ一丈余。
△児宮并岩剣宮 本嶽の頂より、三十六歩許の下に嶽洞あり。
洞中に小石を安し、是を児宮と称す。
岩剣宮は其洞口にあり。
△霧島宮
△新宮
△山王宮
△逸早宮 以上四社、本嶽の西面上下にあり。
△本地堂 本嶽の頂より、西面一町三十歩許の下にあり。
登嶽の路傍なり。
本尊弥勒菩薩、即本社権現の本社とす。
△籠所 金蔵院主、正月十七日、二季彼岸、九月爰に登山して、国家安寧の祈願を修する所なり。
△鐘楼 以上二條、本嶽の頂より、西面二町許の下にあり。
亦共に路傍なり。