「日本の神々 神社と聖地 11 関東」
関東地方の民俗信仰(川口謙二)
蚕影社は養蚕の神さまとして関東を中心に養蚕農家の信仰を集め、その本源は茨城県筑波郡筑波町神郡の蚕影神社とされているが、この社の縁起は興味深い。
北天竺に、キュウチュウ国という国があり、その国のリンイ大王と皇后のコウケイの間弐コンジキ姫がいた。
母の皇后が病死し、後妃を迎えたが、後妃は姫をいじめて獅子吼という山に捨てた。
ところが、この山の獅子が姫を背に乗せて宮中に戻した。
後妃はまたもや姫を鷹群山という山に棄てたが、ここでも鷹狩りに来ていた兵士に助けられた。
後妃は怒り狂って父王の留守中に海眼山の地中に埋めた。
父王は姫のいなくなったことを悲しんでいたが、清涼殿の花園を見ると土中に光るものがあったので、掘らせてみるとコンジキ姫であった。
父王は後妃の難は避けられないことを知り、桑のうつぼ舟に姫を入れて沖へ流した。
そして自分は海岸につづく桑の森に庵を作って世捨人となり、その庵を桑原院と名づけた。
世捨人を桑門というのはここから出たといわれる。
この桑のうつぼ舟が流れついたところが日本の常陸国豊浦(日立市川尻町)の蚕養神社の近くの浜であったという。
ここは小桜貝を多く産し、蚕飼いの浜(小貝の浜)という。
[中略]
筑波山に祀られている欽明天皇の娘かぐや姫は、キュウチュウ国リンイ大王の娘コンジキ姫の生まれかわりといい、姫は子飼(蚕飼)の神となり、これより冨士山に行くとの神託があったことから、筑波山と冨士山の神は一体であったと伝える。
蚕養神は本地仏を勢至菩薩としている。