駒形根神社 宮城県栗原市栗駒沼倉 式内社(陸奥国栗原郡 駒形根神社)
旧・郷社
現在の祭神 大日孁尊・天常立尊・国常立尊・吾勝尊・天津彦番邇邇芸尊・神日本磐余彦火火出見尊(神武天皇)
[合祀] 日本武尊・素戔嗚尊・正哉吾勝速日命・天櫛明玉命・軻遇突智命・保食命・大山祇命・木花咲耶姫命・天手力男命・誉田別尊(応神天皇)
本地
大日孁尊大日如来
吾勝尊(駒形神)馬頭観音

風琳堂主人「駒形大神と白山信仰──藤原秀衡が奉じた神」[LINK]

 駒形根神社の根本社記といってよい「陸奥国栗原郡大日岳社記」は元文五年(一七四〇)に作製された。 前年の元文四年には早々と神仏混淆から脱して神道一本の社として再生したというのが現在の駒形根神社のはじまりである。
 同社宮司の鈴杵氏は、社記の前書きで、「元文以来が突然と出てくる。まるで、神社が突然とできたようである」と驚きを隠さない。 また、この社記の成書時、「その時、仏教時代の史料を隠したものであろう」と推測してもいる。 「突然とできた」のは神社ばかりでなく、社記、つまり、日本武尊による駒形神の勧請といった現在に流布される由緒記もそうだったにちがいない。 この神仏分離時に「仏教時代の史料を隠した」というのは、これも明治期の神仏分離から廃仏へと向かった動きとよく似ている。 ただ、それが一般にはみえないところ、つまり駒形根神社一社内でおこなわれたというちがいはある。
 いずれにしても、駒形山(栗駒山=須川岳)における「仏教時代の史料」は断片的なものしか残っていない。 これまでにみてきたところをふりかえってみれば、円仁に象徴される天台宗徒の痕跡は、神宮寺の駒形山大昼寺が円仁によって嘉祥三年(八五〇)に創建されたということ、また、「仏氏ノ徒[トモガラ]中葉ヨリ駒形宮ヲ以テ誣[タブラカ]シ大日観音ト為ス」とあったように、駒形山には大日如来と観音(馬頭観音)の二尊が本地の仏として設定されたことがわかるのみである。 これらの垂迹神は、大日如来については大日孁尊、観音(馬頭観音)については吾勝尊(駒形神)が対応している。