駒形根神社 宮城県栗原市栗駒沼倉 式内社(陸奥国栗原郡 駒形根神社)
旧・郷社
現在の祭神 大日孁尊・天常立尊・国常立尊・吾勝尊・天津彦番邇邇芸尊・神日本磐余彦火火出見尊(神武天皇)
[合祀] 日本武尊・素戔嗚尊・正哉吾勝速日命・天櫛明玉命・軻遇突智命・保食命・大山祇命・木花咲耶姫命・天手力男命・誉田別尊(応神天皇)
本地
大日孁尊大日如来
吾勝尊(駒形神)馬頭観音

風琳堂主人「駒形大神と白山信仰──藤原秀衡が奉じた神」[LINK]

 駒形根神社「六十八世宮司」鈴杵憲穂氏は『栗原郷土研究』第三十二号(平成十三年四月刊)に、神社に伝わる秘蔵の史料「陸奥国栗原郡大日岳社記」を公開している。
[中略]
 鈴杵氏は前書きで、「駒形神社は元文四年既に神仏分離が行われていた」と記し、「それまでは天台支配の駒形山大昼寺と別称されていた」と、神仏混淆時代のことを記している。 社伝では、「嘉祥三年(850)仁明天皇の御宇、慈覚大師が下向してから駒形山大昼寺と称し、大日如来を祀り、祭式は仏式になった」とされる。 つまり、嘉祥三年(850)から元文四年(1739)までが、駒形根神社の神仏混淆時代ということになる。
[中略]
 社記は、駒形山(栗駒山=須川岳)には日宮と駒形宮の二宮があることを記し、日宮の冒頭は「古ヘノ陸奥ノ国〔吾勝郷雄勝郷〕ノ界駒形ノ巓大日嶽ニ在レマス」と書かれ、駒形山は大日嶽をピークとする山であることが告げられる。 『安永風土記』(1772)は栗駒山の項を「一山 二ツ」として「大日嶽 高大敷大道五里程」と「駒ヶ嶽 高大敷大道四里廿六丁程」と記し、駒形山(栗駒山=須川岳)が二つの「嶽」から構成されているとしている。
駒形山=栗駒山は、大日嶽と駒ヶ嶽から成る総称ということなのだろう。  社記の日宮の祭神は、大日孁尊を中心に天常立尊と国狭立尊を左右に、そして吾勝尊を中心に置瀬尊と彦火尊を左右に(「一伝」として、彦火火出見尊と国狭槌尊を左右に)まつり、「コレヲ駒形峯大明神ト謂ス」とされる。 つまり、大日孁尊と吾勝尊を中心とした六神の総称として「駒形峯大明神」はあるということらしい。
 この日宮の祭神説明に対して、一方の駒形宮のほうは「祭ル所ノ神数十座」としていて、大日孁尊と吾勝尊を中心とした日宮の祭祀と、駒形宮の「数十座」の祭祀とを合わせて、駒形山山上の祭祀がなされているとする。
[中略]
 いずれにしても、駒形山(栗駒山=須川岳)における「仏教時代の史料」は断片的なものしか残っていない。 これまでにみてきたところをふりかえってみれば、円仁に象徴される天台宗徒の痕跡は、神宮寺の駒形山大昼寺が円仁によって嘉祥三年(850)に創建されたということ、また、「仏氏ノ中葉ヨリ駒形宮ヲ以テ誣シ大日観音ト為ス」とあったように、駒形山には大日如来と観音(馬頭観音)の二尊が本地の仏として設定されたことがわかるのみである。 これらの垂迹神は、大日如来については大日孁尊、観音(馬頭観音)については吾勝尊(駒形神)が対応している。