金王八幡宮 東京都渋谷区渋谷3丁目 旧・郷社
現在の祭神 応神天皇
本地 阿弥陀如来

「江戸名所図会」巻之三(天璣之部)

渋谷八幡宮

同所(渋谷)、中渋谷にあり。 このところの産土神とす。 祭礼は八月十五日なり。
本社祭神 応神天皇一座(社記に云く、「この神像は上古弘法大師、豊前国宇佐八幡宮の告げあるにより、しばらく山城国鞍馬寺に安置し奉りを、渋谷次郎高重護持して当社の神体とあがむる」云々。本地仏阿弥陀如来の像は慈覚大師の作なり。円証阿闍梨東福寺創建のとき、行脚の僧来りて授与せしとなり)。
[中略]
社記に云く、「当社は、高望王より五代の後裔村岡五郎良文が曾孫秩父別当武基の一子に、同じく十郎武綱といへる英雄あり。寛治三年六月、清原武衡、同じく家衡が猛威を摧き、奥羽の間に勢を揮ひ、名誉を天下に輝かしぬ。ゆゑに将軍義家朝臣これを感じ勧賞として、その子六郎基家に武蔵国谷盛荘をたまふ。よつて基家勝地を択び、同六年正月はじめて采邑の地に当社を営建し、金王麿まで代々氏神と称し、尊重厳かなりけるとぞ。別当は天台宗にして渋谷山東福寺と号す。相伝ふ、六孫王経基の開創にして、昔は親王院と呼びしとなり。開山は円鎮僧正と号す。養和元年百十一歳にして化寂ありし」と云々。

「新編武蔵風土記稿」巻之十
(豊島郡之二)

中豊沢村

八幡社

金王八幡と号す、 古より中渋谷村の鎮守なり、分村の後も当村及中渋谷、又青山辺武家等の鎮守とす、 神体被甲騎馬の像、長二尺、弘法大師の作と云、
[中略]
末社 高良明神 稲荷 天神
[中略]
別当東福寺 天台宗江戸山王城琳寺末、開山僧円鎮、 本尊弥陀は慈覚大師の作、長三尺二寸なり、 此像は開山円鎮旅僧より授与す、鎮其報として地蔵像を贈る、彼僧欣然として携去て行方を知らず、 鎮其忽行方を失ふを怪て是を尋ぬるに、金王丸影堂中に彼贈りし地蔵の像あり、 是金王丸の仮に旅僧に現して授けしに疑なしとて、益信仰浅からず、 終に彼弥陀を本尊と崇め八幡の本地仏とす