籠神社 京都府宮津市大垣 式内社(丹後国与謝郡 籠神社[名神大 月次新嘗])
丹後国一宮
旧・国幣中社
天橋立神社 京都府宮津市天橋立  
現在の祭神
籠神社彦火明命
[配祀] 天照大神・豊受大神・海神・天水分神
奥宮・真名井神社豊受大神
[配祀] 罔象女命・彦火火出見尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊
末社・猿田彦社猿田彦神
天橋立神社豊受大神・大川大明神・八大龍王
本地
籠大明神阿弥陀如来
豊受皇大神金剛界大日如来
大世多明神(猿田彦社)不動明王・愛染明王
橋立明神文殊菩薩

「丹後一宮籠神社縁起」

丹後国一宮深秘(略書之)、
神代有一の翁(号塩土翁)、 八人の天女降て浴清流、清流者粉河也、 称粉河故者、天女此にて作る酒を、其水の色、粉流るゝ似り、 彼天女に翁欲を起す、 取蔵天の羽衣を間、聊天女不得帰ることを、 然間成夫婦、此処にて作酒渡世す、 伊勢の酒殿明神者、勧請自丹後国、和朝の酒の根本是也、 彼天女在所口伝(在之)、 爰虚空に常に放光飛行し給し事、自鳥籠如放光、 此天女奉勧請之応再拝、耐有降臨奉斎之を、 此は天神七代第一の国常立尊にて御坐也、 仍与佐郡に宮造して与佐宮と云、 天女天に昇らん事を悲泣して、一首の詠を成す、 依之明神放光、此地降給ふ、 自天種々雨供物、天人降種々の宝、花の自紫雲中宝、 覆天の宝蓋其上故、号天蓋山、今の大谷寺北山に一処在之、
人王十代御門崇神天王御宇に、天照大神幸与佐郡、 天照大神国常立尊籠宮大明神礼し玉ふ詞に云、 (其後養老二丁巳年三月二十一日寅剋に今の地に有御遷宮)、
 一心我頂礼、久住舎那尊、本来我一心、衆生共加護
国常立尊天照大神を礼し玉ふ詞に云、
 天宮誓願、久遠正覚、法性如如、同在一処、 (如此して一社に住玉ふ)、
其時此神を号豊受大神宮、豊者国常立尊、受者天照大神也、両宮御名也、 雖然於伊勢天照大神(内宮胎蔵)豊受(外宮金剛)両大神宮云、 伊勢国御鎮座以前は丹後国一社に双住給へり、 深秘口伝在之、去は伊勢の根本は丹後一宮与佐宮也、
十一代御門垂仁天皇御宇、伊勢国度会郡宇治郷御裳濯河の川上に遷宮給へり、
其後宝暦四百八十三年後、人王二十二代の御門雄略天皇御宇二十一年、依勅に丹後国与佐宮を奉遷山田原、 内宮は天照大神、地神第一の神也、 外宮者国常立尊、天神第一神也、 明年(戊午)秋七月七日、以大神主佐々命彦和和志理命第二子也、 二十三年(己未)従大神宮大神主丹後国与佐郡真名井原の豊受太明神奉迎伊勢国山田原、 其後御神託偁、我祭奉仕之時、先可奉祭豊受皇太神宮也、 即大佐々命依勅宣、兼行二所大神宮大神主職矣、
慈覚大師秘記云、伊勢外宮は一大三千界之本主、八百万神等最貴き皇帝之本命、主上之元祖、国家之鎮護、諸神之統領也、
弘法大師中臣払注云、豊受皇大神宮荒魄号す、 伝曰、劫初在神聖名常住慈悲神主(尸棄大梵天王・天御中主尊)、 天照豊受は是両部元祖、仏法本源也、 夫以尸棄大梵天王水珠所成主、水珠者月珠、々々王々者、
mojikyo_font_101876字金剛界根本大摩訶毘廬遮那如来也、 天上大梵天王、虚空無垢大光明遍照如来、過去威音王仏是也、 三十三天中是名大梵天、是天御中主尊、亦名豊受皇太神云々、
[中略]
奉は讃嘆一社を、奉讃嘆万神を、参詣すれは当社へ、参詣諸神也、 当国籠之大明神、是日本第一の神明、鎮護国家之□社、 伊勢豊受宮外宮の本社也、 御影向之初は与佐の□□天橋立の松の梢に御坐、如其形大る籠、 光明十方を照して□輪の影を覆へり、 其後北青山飛移給ふ、常天蓋空中に顕れ、化人雲に外現せり、 見者手打恠み、聞者古の奉恐る、
爰に大明神の御弟をは彦火明尊と申き、即明神彼に示て云、 吾に有和光利物、願汝神官と成て我可崇敬云々、即彼山を号す大谷寺天蓋山と、御在所所定処に、 明神又曰、吾此処に栖て、可し無る益、如何者有大伽藍、末世相応の大法会を可興行故と云々、 其後御在を引下て真井原に遷宮あり、苻中と名之、 自爾以来振神位於四海之外に、響権威於天下之内、 是以和光松壖之前には成し道俗歩を、垂迹栢城之砌には、継踵貴賤首を、儘財施法施之供具、 □時、無懈黍褑蘋蘩之礼質、暦日弥盛也、 依之朝家之崇敬異他、武門之渇仰越余社に、
爰御垂跡之初、御本地を恠申ける尅、僧侶法燈を挑て奉備明神法楽時、 御本尊の後の明障子に筵を懸て行けるに、御影を移し給けり、則奉拝之、 三身円満尊容、極楽世界の教主、阿弥陀如来にて御座き、 誠に六八超世悲願無空、即便往生之大導師也、 今も講経の時明障子に筵を懸て被行之、此講経を号す季の講と、 忠に御垂跡之春朝には、和光利物の花を香く、 内証の秋の夕には、末法万年月弥円ならん、 此国に受け生を、此処に結縁輩は、現当所願成成就せんこと無疑、 可信々々、
抑当社の神主非真人、彦火明尊より分て既に三十代に及へり、 誰は是可蔑如哉、是此国之奇特、非末孫之規模哉、 中に橋立之明神者、本地文殊師利菩薩、 三世諸仏の智母、十万薩埵之本師也、 亦御垂跡を橋立明神と申事、表多之、 此地為躰者、蒼海峨々たり、 雲逢露莱如有乾坤之外に、青山峨々たり、 金波山楼崑固の中に御かと覚ゆ、 恠石寄巌高の嶺へ、霊杪霊木集り生たり、 或童子形を現、放光を昇空、 或沙門の像を示して忽mojikyo_font_016388して地没する城、 是霊仏遊戯の処、文殊影向砌也、 而天地開闢より以来、時代不朽、
橋者化人来て一夜頓渡浮橋也と云へり、 善女龍王の乙姫、是守護給ふ、江姫明神と云々、
[中略]
亦籠之大明神御影向の初、橋立の松梢に御座す時、 難陀龍王は文殊を戴、跋難陀龍王は不動愛染二尊を戴、出現し給き、 文殊師利菩薩者、橋立明神是也、 愛染不動者、大世多明神と申也、深秘多之、
天竺を月支と云、是月輪也、震旦星箭たり、我朝をは日域とて日輪と名付たり、 爾三光の中には日天子を為第一、就中日本は霊山の影と日本記には見へたり、 爰以山家大師は、日本一州円機純熟朝野遠近皆帰一乗、 恐くは是大権化現の境、善根成就の国土也、其中にも此橋立は我朝の骨目也、 其故如何者、其故二龍王は霊山説法の聴衆也、 雖世界広、此橋立留跡給、守護神と成給、第一の不思議也、 沙竭羅龍王は南方無垢世界に成道を唱、難陀龍王女は籠群天橋立守護神と顕給なり