古四王神社 |
秋田県秋田市寺内児桜1丁目 |
旧・国幣小社 |
本地 |
持国天・増長天・広目天・多聞天 |
釈迦如来・薬師如来・毘沙門天・文殊菩薩 |
「古四王神社考」
我が高清水岡なる古四王は齶田に名垂たる古社なるが、その縁起に持国・増長・広目・多聞の四天王を祭れりと云ひ、あるは釈迦・薬師如来・毘沙門・文殊の四仏なりとて、その真言とか称して唵釈薬毘文薩嚩訶と唱ふれと、此輩を古四王と云ひし例いまだ仏書に見当らず。
且つ古昔越と称しゝ国のみ此社の多かるを訝しと速より思ひ居たるに、此ころこの神社は崇神天皇の御宇大彦命の草創にて、武甕槌神を招き祭りて齶田浦ノ神と称し、その後阿部比羅夫将軍下向のとき大彦命を合祭ありしより古四王と改まり、其ののちまた阪上田村麻呂将軍再興の時四道将軍を残らず合祭、神仏混淆四天王を本地となしたるものなるを考へ得たり。
[中略]
東門院所伝の古四王縁起に曰く。
抑東山道出羽国秋田城亀甲山四天王寺東門院古四王権現。
奉尋由来。
用明天皇之皇子聖徳太子之草創。
神仏比合之霊社也。
[中略]
出羽国秋田之城建亀甲山四天王寺東門院意趣者。
蝦夷蜂起之時依官軍敗北。
太子任守屋退治之嘉例。
造三寸之四天王之像。
納瑠璃之箱営堂宇。
而摸摂州四天王寺。
其時清泉涌出而池中霊亀出現。
是則亀井之水精霊遥所現也。
其上建一宇。
号亀甲山四天王寺東門院。