神田神社 |
兵庫県丹波篠山市大山上 |
式内社(丹波国多紀郡 神田神社) 旧・県社 |
「大山村史 本文編」
○神田神社 上村に鎮座。
古い神社で、大山一宮明神と呼ばれたが、『丹波志』などの附会により、幕末から神田神社と呼ぶ。
祭神、勧請年月はともに不明である。
それは、もともと山神を祀ったもので、特定の神格を予定できず、その自然神崇拝の由来から信仰の淵源は、おそらく村民の生活とともに古いものであろう。
したがって、後代の記録に本地として阿弥陀如来をあてるのは神仏混淆の故であり、同様に彦火火出見尊・木花咲耶姫・大山祇神などをあて、さらに明治三年の神社帳に大己貴命を祭神、大宝二年九月九日勧請としたのは、当時の村民中の識者が考証した結果であるが、むしろ歴史的にみると、不明であるのが自然である。
[中略]
神仏混淆 ところで近世においては神道と仏教とが密接な関係をもっていて、混淆されて信仰の対象となっていた。
本地垂迹、すなわち神は本地である仏が、衆生救済のため、かりにこの世に現れたもの、とする思想は、平安時代より拡まり、近世にも行われた。
大山においても祭神を本地仏にあてるのが多いのは、そのためである。
すなわち、一宮大明神(神田神社)―阿弥陀如来、池尻大明神―薬師如来、追手大明神―釈迦如来、味淵大明神―十一面観音、松尾神社―薬師如来、二宮大明神―大日如来、天神社―十一面観音、大歳大明神―正観音菩薩、稲荷社―大勢至などがその例である。
したがって、御神体に仏像が安置されていたという例もあり、それが、明治に入り神仏分離の行われるまで続いたのである。