高賀神社 岐阜県関市洞戸高賀 旧・郷社
現在の祭神 天御中主尊・国常立尊・豊斟渟尊・国狭槌尊・泥土煮尊・沙土煮尊・大戸道尊・大戸辺尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊・大日霊貴尊・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鸕鷀草葺不合尊・天児屋根命・猿田彦命・素盞嗚尊・太玉命・金山彦命・日本武尊
本地 虚空蔵菩薩

「日本の神々 9 美濃・飛騨・信濃」

高賀山の諸社と虚空蔵信仰(佐野賢治)

 奥美濃にそびえる高賀山(1224メートル)の山麓には、すでに平安時代から社殿や堂宇が散在し、中世初期から近世にかけて「高賀権現」の名のもとに社団として統括・組織されていた。 そして明治の神仏分離に際しても、氏子の強力な反対で神殿のなかに本地仏をそのまま安置した諸社が存続することとなり、虚空蔵菩薩の懸仏を多数保存することから、神仏習合思想の顕著な残存形態として注目されてきた。
[中略]
高賀山信仰も他の山岳信仰と同じく、水分神あるいは祖霊信仰の聖山としての性格に淵源するのであろうが、この地の人々は高賀山諸社の来歴を瓢ヶ岳の妖魔と藤原高光の伝説に求めている。 すなわち、霊亀年間の頃、瓢ヶ岳に牛に似た妖怪が住み。村人に危害を加えたので、養老元年、勅命を受けた藤原高光が粥川(美並村高砂)の鰻の案内によってこれを退治し、藤原高山麓に国常立尊などの諸神を祀った。 さらに天暦年間、高光はその妖怪の亡霊を虚空蔵菩薩の加護によって退治し、そのとき山を取りまく六ヶ所に神社を建立したという。
[中略]
(1)高賀神社  当社には保延五年(1139)から文永七年(1270)に書写され弘安八年(1285)に奉納された大般若経563巻のほか、鎌倉時代の懸仏280面が伝わっている(虚空蔵菩薩31面、薬師如来34面、十一面観音18面、阿弥陀如来11面など)。 虚空蔵菩薩の一面には
奉施入、西高賀御宝前虚空蔵菩薩御正躰一躰。 右為遠近貴賤上所求所(省略)修如件。 嘉禎三年丁酉(1237)正月廿八日。 勧進浄尊
とあり、当社の本地仏が虚空蔵菩薩であったことを示している。 本殿には伊弉諾尊・伊弉冉尊の神像のほか15体の男女神像が安置されているが、このような状況は高賀諸社のなかでは当社だけで、他は本地仏を祀ることから、当社の特殊な性格がうかがえる。 なお、別当寺の蓮華峯寺(真言宗)には十一面観音(天治元年・1124)、地蔵菩薩、不動明王、大日如来などの平安仏のほか、多くの円空仏が伝わっている。