光主神社 青森県むつ市大畑町正津川 旧・村社
現在の祭神 蛭児命
本地 釈迦如来

菊池展明「円空と瀬織津姫」

恐山信仰と地神供養──円空十一面観音のおもい

 恐山参詣者にとって、太陽と対面する優婆尊をまつる優婆寺は「禊所」でもあったわけだが、三途川=正津川の河口には、実はもう一つ「禊所」があった。 現在の光主神社である。 同社の由緒沿革を『大畑町史』から引用する。
光主神社 鎮座地 下北郡大畑町大字正津川字高待一〇ノ二
由緒沿革 天和三年(一六八三)九月の勧請
 釜臥山の山頂に祀っている釜臥山嶽大明神を勧請したもので、光主神社の奥の院になっている。 釜臥山嶽大明神は田名部の修験大覚院が代々別当を務めており、大湊の兵主神社と正津川の光主神社はともに釜臥山下居大明神と号している。 現在でも田名部の大覚院熊野神社の神職が祭事をつかさどっている。 両社は釜臥山の登山口となっており、登山参拝する者はここで禊をする事になっていた。
祭神 蛭児命(伊邪那岐命と伊邪那美命の御子神)
 光主神社(に)は最初の頃御神体として釈迦の像が祀られていた。
[中略]
 兵主神社はともかく、光主神社が三途川=正津川の河口部にまつられていることは、その鎮座立地からみて、光主神が三途川と関わり深い神であると考えざるをえない。 光主神社には、「最初の頃御神体として釈迦の像が祀られていた」という。 この釈迦像は、釜臥山の神(地神)の本地仏で、ここには恐山信仰と同一の発想・視点があった。 釜臥山嶽大明神は恐山の「地神」であり、この地神をまつる光主・兵主神社は、同社主神を特に「おりい」の神の異称をもって呼んでいた。 恐山の「地神」は、姥尊=優婆尊とも習合する神、かつ、禊ぎを司る神でもあったのだろう。