上野総社神社 群馬県前橋市元総社町 上野国総社
旧・県社
現在の祭神 経津主命・磐筒男命・磐筒女命
[配祀] 宇迦之御魂神 <稲荷神社>・須佐之男命 <八坂神社>
[配祀] 赤城大明神・抜鉾大明神・若伊香保大明神・伊香保大明神・岩根大明神・小祝大明神・榛名大明神・浅間大明神・火雷大明神・倭文大明神・上野国内五百四十九社
本地
総社大明神普賢菩薩弥勒菩薩
九ヶ所大明神抜鉾大明神弥勒菩薩・観世音菩薩
赤城大明神千手観音・虚空蔵菩薩・地蔵菩薩
伊香保大明神薬師如来・十一面観音
宿禰大明神千手観音
若伊香保大明神千手観音
満行権現地蔵菩薩
小祝大明神文殊菩薩
火雷神虚空蔵菩薩
少智大明神如意輪観音

「神道集」巻第三

上野国九ヶ所大明神事

一の宮をば抜鉾大明神と申す。
俗体は弥勒菩薩なり。 この仏は減劫第五の如来、当来三会の教主なり。
女体は観音なり。 この仏は大悲闡提の大菩薩、能施無畏の大士なり。 この御神は金光明経の体なり。
[中略]
二の宮は赤城大明神と申し、惣じて三所御在す。
大沼は本地千手なり。 妙覚高貴の体は、寂光の都に静なれども、遍応法界の光は、娑婆の塵に交わり、善巧方便の故に、極果を押へ、利益衆生の故に、身を等覚に息めたまへと云々。
小沼は本地虚空蔵なり。 この仏はこれ十地究竟の大士、三有利生の権化なり。
[中略]
禅頂は本地地蔵菩薩なり。
[中略]
三の宮は伊香保大明神と申す。
湯前と崇る時は、本地は薬師如来なり。 この仏はこれ東方浄土の教主、十六王子の最初なり。
[中略]
里に下りては、本地は十一面観音なり。 また大光普照観世音と申す。
[中略]
四の宮は宿禰大明神と申す。 本地は千手観音なり。 または大悲観世音と名づく。
[中略]
五の宮は若伊香保大明神と申す。 この本地は千手観音なり。
[中略]
六の宮は春名満行権現と申す。 本地は地蔵なり。
[中略]
七の宮は沢宮小祝と申す。 本地は文殊なり。 この仏はこれまた妙吉祥と名づく。 また金剛利と号す。
[中略]
八の宮は那波の上の宮、火雷神と申す。 本地は虚空蔵菩薩なり。 この仏はこれ福智成就の菩薩なり。
[中略]
九の宮は那波の下の宮、少智大明神と申す。 本地は如意輪観音なり。 また大梵深音観世音と名づく。
[中略]
惣社と申すは、また本地普賢なり。 この仏はこれ等覚無垢の大士、余有一生の尊師なり。

「上野国一宮御縁起」

当国赤城大明神と申すは、仁王十八代履中天皇の御時、公卿一人御坐す、 御名は高野辺左大将家成と申すは、来慶殿の女御に無き名立て給い、上野国勢田郡荒須郷と云ふ山里に流され、北の方を引具し、男子一人、姫君三人渡され給ふ、
[中略]
御姫大森姫は赤城山に籠給ふ、 大沼の龍神平蔵の嫡女、形よき女房と現し来て曰ふ様は、閻浮の命は夢幻の如し、龍宮と申すは、遊楽快楽の処なり、 誘引給て引具し奉り、龍神の跡を相い続せ給て、赤城大沼の大明神と顕れ給ふ、 御本地は千手千眼観世音菩薩にて御坐すなり、
[中略]
又淵名姫は、大黒大明神と申すなり、 本地は正観音にて御坐す、
而て御舎弟左大将殿と申すは、当国の国司と為り、 彼の北の方は伊香保姫と申し、湯前大明神と顕れたまふ、 本地は十一面観音にて御坐す、
又高野辺左大将家成は、赤城山小沼の大明神と申すなり、 本地は虚空蔵菩薩にて御坐す、
彼の北の方は、惣社の大明神と現し給ふ、 普賢菩薩の垂迹なり

「総社大明神草創縁起」

野上州群馬郡摠社郷摠社大明神草創縁起
窺以摠社大明神者、日本紀所載之、磐裂根裂之子、磐筒男磐筒女神也、 以此神為摠社神躰、 則神代紀曰、磐裂根裂神之子磐筒男磐筒女神所生之子、経津主神是将佳也云々、 経津主神降出雲国抜剣倒植地踞其鋒云々、 亦相殿神者摠社神名帳所載経津主神抜鋒大明神等十社也、 彼経津主神者磐筒男磐筒女神之子也、是唯一宗源神道義也、
両部習合神道、 所謂摠社真躰磐筒男磐筒女与一宮抜鋒経津主神父子一而一躰分身弥勒菩薩也、 以此因縁故以一宮抜鋒神為摠社本躰磐筒男磐筒女腋子、 特鍾憐愛懐腋下故、摠社神名帳之首篇第一載一宮抜鋒神、 且一宮与摠社両社宝殿安置弥勒菩薩像是明証也、
[中略]
有伝記云、摠社大明神者彼神母也、 本地弥勒而日本安閑天皇御宇甲寅三月十五日従南天降臨云々、 彼神者抜鋒経津主神也、其母者摠社真躰磐筒男磐筒女神也、 従南天降者如神代記初審抜鋒経津主神蒙天照太神勅降到出雲云々、 是地神第三代瓊瓊杵尊時也、 其後到神武二十八代安閑天皇治世甲寅、 以一宮父母磐筒男磐筒女并与其子経津主神奉勧請上野摠社郷、 始造宮号摠社大明神

「上野国志」

護国霊験総社大明神[LINK]

元総社村にあり。 安閑天皇甲寅年三月十五日鎮坐。 祭神磐筒男命並に上野国中五百四十九社を合せ祀る。 本地弥勒菩薩。 慶長中二度回禄す。 然れども五百四十九社の神名帳並正体鏡は不焼失。

尾崎喜左雄「上野国神名帳の研究」

『上野国神名帳』三異本の概要

総社本

 「総社大明神」という称号は、勿論総社という神社の成立後に起こったものであろう。 総社という神社形態が成立すると、他の神社にならって、大明神号をとったものであろうが、当初は特定の一神を祀ったものではないので、やがて、総社の祭神が祀る者によって要求されたものであろう。 その発端になった一理由は「一宮抜鋒神社の祭神は経津主神」ということである。 総社の神主は一宮の神主より上位にあることを期待したものと思われる。 すなわち、親神という考え方が出て来る所以であり、母神として、一宮祭神経津主神の親神である磐筒男磐筒女神を以て祭神としたのである。 然も総社大明神は一神と考えたので、「磐筒男磐筒女神」を一神の女神とみたのである。
 更に抜鋒明神はその本地仏を弥勒菩薩としているので、総社大明神の本地仏も弥勒菩薩として、「両部習合神道云摠社大明神与一宮抜鋒明神父子一躰分身弥勒菩薩是一宮親也」と説明している。 実は抜鋒明神の本地仏は観音菩薩であり、弥勒菩薩は貫前明神の本地仏である。 『神道集』では貫前神の名は見えず、抜鋒神の名で、両者の伝承が統一されており、本地仏も俗体は弥勒で、女体は観音であるとされている。 すでに混同されており、その弥勒をとりあげている。
 ところが、『神道集』巻三、「十六者上野国九ヶ所大明神事」の末尾に、「惣社ト申ハ亦本地普賢也」として、南北朝時代には「普賢菩薩」であったことが知られ、現在総社神社に、表に「惣社大明神」とし毛彫の普賢像をあらわし、裏には「天正十七己丑二月九日」とした懸仏が所蔵されている。 ところが総社神社にはまた次の懸仏がある。 表には弥勒坐像が鋳出してあり、裏には「奉鋳立弥勒菩薩御性躰 上野州群馬郡惣社宮所 天正十四丙戌歳二月一日欽言 小嶋美作守定吉」とある。 前者と重複するのであり、天正十四年(1586)には本地仏弥勒としながら、『神道集』の時代からは本地仏普賢として、天正十七年なおその懸仏を製作している。

「中世諸国一宮制の基礎的研究」

上野国

Ⅴ 総社

1 総社神社。 「護国霊験総社大明神」の神号額がある。
5 総社本『上野国神名帳』冒頭に「総五百四十九社勧請故、当社号総社大明神、是当社之宝物也」とあり、近世初頭から神主赤石氏により神体のように扱われたと考えられる。 祭神は磐筒男命・磐筒女命
6 慈眼寺(寛永<1624~44>以降)。