久保市乙剣宮 石川県金沢市尾張町2丁目 旧・郷社
現在の祭神 素戔嗚尊
本地 不動明王

「加賀志徴」巻十一(石川郡)

乙剣社[LINK]

乙剣社 社僧真言宗法住坊。 ○白山記。金剣宮の條、荒御前、糺宮、大行事、乙剣。 ○或云、其始め日神三剣を嚼て三神と化生す。 其一は石川県鶴来村の金剣宮、其二は同郡松任の北なる金剣社、其三は久保市の乙剣社なりと云。
[中略]
○法住坊由来書。本社は白山第四之太子乙剣大明神、本地不動明王に而御座候。 先年西尾与三右衛門屋敷に有之処、瑞龍院樣御代卯辰山へ引越可申旨被仰出、慶長六年只今の居屋敷拝領仕、則御印物御座候。 ○法住坊由来記に、其初不知、白山第四太子乙剣太明神、本地不動、金沢数ヶ所之氏神、毎年四月二日祭礼、元西尾氏居屋敷在之、瑞龍公御代卯辰山へ遷座とあり。

「加賀諸神社縁起」上

窪市乙剣神社縁起

夫当国窪市乙剣明神の来歴を考るに、石川郡河内庄剣邑の船岡山の嶺上に鎮坐し給ふ金剣宮大明神は、白山七社の第一なる武神なりしか、白山の剣か嶽に神霊の神代以来鎮り坐すか故に剣大明神とは申奉りける、 人皇十代崇神天皇の三年に、其神霊の分体此船岡山に影向し給ふに依て、麓の邑里をも剣の里と称し、今は鶴来と書替へたり、 社号をは金剣宮と称し、白山比咩神社の第一の御子神にて、此本社に向ふて別社の末社あり、是を乙剣の宮と称す、 本社金剣宮剣明神の御子神にて白山比咩神の裔神なり、 本社金剣宮と乙剣宮との両神殿に相対して其中央に不思議の霊井あり、俗にとの池といふ、此霊泉は神秘の事共ありて神異の著明なる伝説多し、 さて乙剣の明神も金剣明神と同しく霊異いちしるく所々に出現し給ふ、 中にも当国窪市の市人に霊現の事共ありて、其神霊を勧請して此地辺に産土神とは成たり、 社殿・別社等繁昌すといへとも、長享以来二百余年、一揆の兵乱に社頭も兵火の為に炎上し、旧社地の森林の中に神木数株焼残り枯木もありし故に、此地辺に枷たる橋梁をは枯木橋と呼へり、 天正十一年藩祖利家卿当国入部し給ひ、天下泰平に属し、産子の人々旧地に小祠を造営して元の如く鎮座なし奉る処、慶長六年利家卿、城中外郭内の神社仏閣共をは悉く犀川・浅野川両橋の外へ移転命せられ、此時当社乙剣明神も窪市の旧社地を離れ、卯辰山の山上へ移転命せられ、旧社地は西尾隼人の宅地に賜りたり、 抑当社乙剣大明神の本地を尋奉れは、本尊不動明王、脇侍は十一面観音・毘沙門天王是なり、 忝くも不動尊は大日如来の教令輪身にて、柔和の尊容を変して忿怒の形を現し、衆生済度の方便を施し給ふ

「加賀能登神社由来書上」

久保市乙剣宮

一、当寺開基者、旧記等無御座ニ付、往昔之儀者難知候、 当社者白山第四ノ太子乙剣大明神、本地不動明王ニ而御座候、 金沢町方数カ所ノ氏神ト為ス