熊野三所大神社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮 旧・村社
現在の祭神 熊野夫須美大神・熊野速玉大神・家津美御子大神
本地
若一王子十一面千手観音
錦浦大明神釈迦如来

「熊野山略記」巻第三(那智山滝本事)

浜宮堂〈補陀落山渡海上人、此の寺に於て加行を致す。補陀落山着岸の後、上人乗りし船并びに書札共、此の浦に帰着す〉。
浜宮〈若女一王子は十一面、錦浦大明神は尺迦(釈迦)。関東二所権現也云々〉。

「紀伊続風土記」巻之七十八(牟婁郡第十)

那智荘 浜ノ宮村

○浜宮 境内周三百七十間 禁殺生
 一社三扉(彦火火出見尊・天照大御神・大山祇尊)
 末社 三狐神 丹敷戸畔祠
 籠所 拝殿礎
村中にあり 那智山の末社なり 祀神寛文記には熊野三所権現とあり 同記一説には錦浦大明神伊豆箱根両所権現とあり いまた何れか是なるを知らす 又王子社ともいふ 平家物語に惟盛入道の事を記して三の御山の参詣事故なう遂給ひしかは浜ノ宮と申奉る王子の御前より一葉の船に棹さして万里の蒼海に浮ひ給ふとある即当社なり 古は此地悉社地にして民家もなかりしに後世村居して当社を産土神と称せり 其後故ありて丹敷戸畔祠を産土神とす事は下文錦浦の條に弁す 藻塩草当国の部に浜宮とあるは即当社なるへし(寛文記に当村を浜之宮村とあり)
[中略]
○補陀洛寺
 千手堂
 平政子石宝塔
浜宮王子の境内にあり 此寺草創の時代詳ならす
[中略]
○千寿[手]堂は王子権現の本地堂に准すといふ 寛文記に比丘尼山伏の本寺として修理すとあり 今新宮より仏供料として高五石を寄附せり 又那智社領の内九石を分つといふ