尾崎喜左雄「上野国の信仰と文化」
須川熊野神社蔵本地仏
熊野神社の本地仏は三体あって、弥陀、薬師、観音である。
どれも木像で高さ九尺八分、これに台座がついて総高一尺五寸四分である。
弥陀像と薬師像は共に如来形であり、冠も瓔珞もない。
弥陀像は上品上生の形で、定印といわれる手の形を示している。
薬師像は右手は施無畏印で、左手は膝の上に上向きに置いている。
この上に薬壺が入っていたのであるが、今は失われている。
観音像は菩薩形で瓔珞があり冠をつけている。
右手は施無畏印であり、左手は膝の上で握っており、蓮華の花茎を持っていたものであるが、これも今はなくなっている。
何故に熊野神社の本地仏が三体であるかというと、和歌山県の熊野の三所権現を勧請して祀ったからである。
三所権現というのは仏教徒が段々きめてできあがってきたもので、証誠殿と両所権現を中心としている。
証誠殿は弥陀であり、両所権現のうち結宮は観音、中宮早玉明神は薬師である。
[中略]
須川の熊野神社に現在の社殿の棟札が残っているが、それに、
証誠殿 本地阿弥陀如来
結尊 本地千手観音
早玉尊 本地薬師如来
と記してある。
この社殿は寛政十二年十月十五日成就遷宮とあるので、江戸時代のことではあるが、熊野三所権現をこのように考えていたことがわかる。
即ち弥陀像は誠殿殿、家都御子神の本地仏、薬師像は早玉尊、熊野早玉神の本地仏である。
ただ、観音像は棟札では本地千手観音となっていて、結尊熊野夫須美神の本地仏のつもりであるが、像と棟札の表示が少し異なっている。
像は聖観音であり、千手観音ではない。
社殿を造営した駒形山大宝院宝蔵寺の法印一如の思いちがいであろう。