「鳳来町誌 歴史編」
二つの仏像
巣山の熊野神社の西の杉林の中に、金隆山高福寺の遺跡がある。
聖武天皇の天平二年(749)行基菩薩(668-749)の開基と伝えられ、無量寿仏と持国天、増長天を刻んで安置されたという。
寛久元年(1244)僧行慶が阿弥陀仏を彫刻し、無量寿仏の前立とし、胎内に弘法大師の刻まれた金銅円板の仏像を納めたといわれている。
[中略]
熊野神社の本地仏として祀られたのであろう、木造阿弥陀如来坐像は、高さ88.8cm、寄木造りの漆箔像。
光背は二重円相、台座は蓮華坐、彫眼で、鎌倉時代の特色といわれる眼玉にガラスを使用する玉眼の法はとられいない。
[中略]
三つの懸仏
熊野神社にあった三体の懸仏がある。
懸仏というのは、平安時代の中ごろ、神は仏が仮の姿を現わしたものだから、それぞれ本になる仏(本地仏)があるという、神仏習合の中から生まれたもので、御神体である鏡(円鏡)に、本地仏を毛彫りしたのを懸けるようにしたものである。
ここのは熊野三所の懸仏であるから、熊野本社証誠殿の本地仏阿弥陀(円径36.3cm)、那智の本地仏千手観音(円径36cm)、速玉(新宮)の本地仏薬師(円径36cm)の木造である。