熊野神社 鹿児島県指宿市山川福元 旧・郷社
現在の祭神 速玉之男神・伊邪那美神・事解之男神
[合祀] 稲田姫命・須佐之男命・八王子・蛭子命・事代主神・事代主后神・宇賀之魂神・猿田彦神・大宮能売神・大己貴神・菅原道真・火産毘神
本地 薬師如来・阿弥陀如来・千手観音

「三国名勝図会」巻之二十二

熊野権現社[LINK]

山川村にあり。 祭神紀州熊野三所権現。 例祭正月七日、八月十五日。 当社は、昔し東光寺頼仁法印なる者、紀州熊野の別当なりしに、故ありて、当国に下り勧請し、別当に任ず。 其年別詳ならず。 頼仁より大三世の別当までは、清僧なりしに、第四世頼宗より、妻帯となりて東光寺を宝乗寺と改む。 第十五世頼遍が時、改て如一山青陽院宝積坊といふ。 慈眼公琉球征伐の時、当邑に御出馬あり。 第十九世の住持、頼真法印に命じて、御祈願の旨に依り、琉球平定の後、慶長十六年、十一月、当社を再興したまひ、頴娃開聞神社の社家紀氏をして、神楽を奏せらる。 是より社家祭祀に与かる。 琉球語征伐の時、慈眼公此社殿の前にて、送別の筵を設け、征伐の軍士に盃酒を賜へり。 第二十一世頼昌が時より、大崎修験飯隈山照倍院に隷す。 今別当鮫島青陽院、其苗裔と云。 往古は山川村八町、揖宿川原村、神領なりしに、寺社領勘落毀破の時、官に収入す。 大永二年、領主頴娃兼心、天文二十年、頴娃兼堅等の棟札存す。 社司紀某。
[中略]
○本地堂  本社の境内にあり。 薬師、阿弥陀、千手観音を、本社の本地とし、本社に勧請し、此堂には其本地の中薬師を安す。 天正十五年、伴氏久虎の棟札を蔵む。