黒森神社 岩手県宮古市山口 旧・村社
現在の祭神 素戔嗚命・大己貴命・稲田姫命
本地 千手観音

「日本の神々 神社と聖地 12 東北・北海道」

黒森神社(小形信夫)

 この黒森山に鎮座する黒森神社は、もと黒森山大権現と号したが、その由来を確証する記録はない。 南部藩の記録や神社縁起も口碑伝説の類を伝えるにすぎない。 その一に貴人流離譚がある。
 垂仁天皇の第二皇子(一説に推古帝の弟宮と伝える)が故あって勅勘をこうむり、宮古浦に配流の身となって磯鶏村柏木平に寓していたが、日々鬱憂に堪えず、ある日海に投身して果てた。 里人は大いに驚き浦中を探したが亡骸が見つからなかったので、皇子が日ごろ愛育していた鶏を舟に乗せて尋ね、鶏鳴したあたりで亡骸を得た。 この旨を朝廷に報告したところ、高い場所に葬祭すべしとの仰せがあり、黒森山は四十八谷を有する霊場であるとして山中に陵廟を築き葬ったのがその始まりという。 本殿から100メートルばかり下った谷間に円形の小さい森があって、古陵とも本宮様あるいは古黒森とも称し、是津親王を祀った御陵と伝えている。
 もう一つの伝承は、田村麻呂の征討に由来するものである。 延暦年中、田村将軍利仁は岩鷲山に棲居した夷賊大猛丸を追って宮古に至り、ついに遠矢を放って射斃したが、なお黒森山にこもる残党余類のことごとくを投降せしめ、その折、黒森山が聖地なるを知って一社を創建し、黒森山大権現の尊称を奉ったという。
[中略]
 黒森権現社の司祭については、南部藩の記録に、上古以来当山には祠官のほか多数の坊院があったがほとんどその名は明らかでなく、そのうち安泰寺および赤竜寺は廃絶して礎石を残すのみとなり、今は長根寺が祠官をつとめ神事祭礼を行うと記されている。 かつて黒森権現社参道に建立された安泰寺、赤竜寺、そして千穂の長根寺は、霊山としての黒森山との関りにおいて建立された寺院であったことが知られる。 これらの寺院に伝えられていた阿弥陀如来像、薬師如来像および仁王像は十世紀から十一世紀のものと推定されているところから、これらの寺院のあるものは天台または真言の密教寺院として建立されたものと思われる。
 また黒森権現は別名を黒森観音とも称し、千手観音を古くから祀ってきたといわれる。 一切衆生の憂悩や病苦・障難を払う千手観音信仰は、自然崇拝をもととする山神や水神の信仰に加飾されて、信仰の山としての霊格を高めるうえで役立ったことであろう。 南部藩の史家が「黒森観音は推古天皇の御建立也」としている伝承は問題にならないが、南部氏十二代の政行が応安三年(1370)に黒森大明神再興のとき観音堂をも修覆したといい、その来歴の古さが窺われる。