前川神社 埼玉県川口市前川町3丁目 旧・村社
現在の祭神 多岐都比売命・多紀理毘売命・狭依毘売命
[合祀] 大日孁尊・猿田彦命・菅原道真
本地 金剛界大日如来

「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」

前川神社

  川口市前川町3-374(前川字島在家)

歴史

 当社の社号も昭和四十九年(1974)に、この地名にちなんで改称したものであるが、それまでは勢貴社と号していた。
 宝永七年(1710)二月十七日に別当東福寺盛覚が記した「縁起」によると、祭神は多気比命売ノ尊で、尊は当所に船で着き、下りた所を下原といい、当社東方の今は天神が祀られている地である。 永正九年(1512)の雷火により、勧請の縁起や古い証文等を焼失した。 その後、文禄三年(1594)に東福寺先住範宥法印が法華経一部を天下泰平御祈祷のため社内に納め読誦した。 当社は当村と文蔵村の惣鎮守で、『延喜式』神名帳武蔵国足立郡四座の内の多気比命売尊勢貴大明神であるが、縁起等が焼失し不分明なため、京都の吉田家にて古きを尋究し、内陣に幣帛三本御備三膳を置き、御紋橘、祭礼九月十七日、本地仏は金(金剛界)大日如来と定められ、正一位勢貴大明神の宣旨を宝永六年(1709)臘月十六日に頂載した。 ただし、本地仏は社内に置かず、東福寺の本尊を本地仏としたとある。
 なお、この縁起にある宗源宣旨と宗源祝詞は今も社蔵されるほか、大願主本橋重右衛門により、この縁起と同時に納めた奉斎札も残る。
 また、文化三年(1806)九月に当村字雁丸に住む斎藤信忠が、別当勢貴山東福寺に上梓した「前川文蔵両邑鎮守 勢貴大明神由来記」によると、勢貴大明神は多気津姫命にて水徳の神である。 昔、ここは入間川の入江で堰があったが、大河に設けた堰のため利き目がなく、不利の堰と呼ばれ、洪水の時には数度に及び此の地に被害をもたらした。 そこで時の国司が水災守護のためにこの神を勧請し、神徳により水が堰止められたことから、勢貴大明神と号したとある。