松原神社 神奈川県小田原市本町2丁目 旧・県社
現在の祭神 日本武尊
[配祀] 素盞嗚尊・宇迦之御魂神
本地 十一面観音

「新編相模国風土記稿」巻之二十四
(村里部 足柄下郡巻之三)

宮前町

松原明神社

祭神日本武尊、(長一尺二寸、束帯の像なり) 社伝に、古は鶴森明神と号す、こは後醍醐帝の時、当初に真名鶴棲けるをもて、鶴の森と唱へしによれり、 遥の後天文中、山王原村海中より金仏の十一面観音石窟に入て(今も此地に石室あり、方四尺、観音出現の時のものと云)松原に出現あり、 其の託宣に任せ、当地に遷し本地仏となす、(長四寸二分、是五月六日の事にて、其時剪麦を供せしを以て、今に此日剪麦を供じ、且氏子へも配賦す) 是に於て神号を改しと云、(一説に古は山王原村の松原に在り、故此神号ありと云ふ) 北條氏は当社を殊に崇敬あり、
[中略]
△末社十二宇 各幣束を置、(八幡・鹿島・天王・道祖神・星月夜神・松尾・三峯・第六天・稲荷・摩利支天・疱瘡神・太神宮等なり、按ずるに羅山集に、星月夜の詩あり、小序に星月夜小田原の名所也と載す、今此地名なし、星月夜神は、其遺名なるにや)
[中略]
△別当玉滝坊 本山修験、(山城聖護院末)先達奉行職なり、鶴松山玉流寺成就院と号す、 当城主の祈祷所なり、
[中略]
△供僧西光院 古義真言宗、(大工町蓮上院末、古は東寺宝菩提院の直末なり)松原山南勝寺と号す、 [中略] 本尊不動、及聖天十一面観音(明神の本地仏なり、長一尺二寸、閻浮檀金秘仏)を安ず