松山神社 鹿児島県志布志市松山町新橋 旧・郷社
現在の祭神 応神天皇・仁徳天皇・神功皇后・玉依姫命
本地 阿弥陀如来・薬師如来・観世音菩薩

「三国名勝図会」巻之五十九

正若宮八幡社[LINK]

新橋村にあり。 神体衣冠の木像一躯、神鏡一面を安す。 神鏡の背には、神号を書し、永禄九年丙寅十月二十五日、願主円満坊と記す。 例祭二月二十五日、十月二十五日なり。 当社は往昔松尾城内八幡城といふ所にありしに、大中公の御時、享禄二年二月、今の地に移す。 鰐口に、永正二年の銘あり。 天正十七年、松齢公御修造の棟札あり。 当邑の宗廟なり。 社司庄司某、別当蓮華院。
○軍神社 本社の左にあり。 平山越後守忠智、松尾城を守りし時、永禄二年四月、越後守及び其長子右馬頭久武、次子次郎四郎久次、父子三人戦死す。 其後越後守の軍配団扇を神体として、軍神と崇む。 元禄三年の棟札に、奉造立軍神摩利支天拝殿一宇と記せり。
○若宮神社 本社の右にあり。 往昔浮浪人山田十兵衛といふ者、当村に居住す。 柏原周防介公盛地頭の時、貫明公より山田を誅戮すべきの命あり。 慶長十一年四月十六日、当邑の士大保助之進、蓮華院二王門にて、槍を揮ひ、是を刺し殺しぬ。 其後山田が霊祟なりとて、通路の人、屡災難にあひしかば、若宮大明神と崇めて、当社を建立せしといふ。

八幡山寿福寺蓮華院[LINK]

新橋村にあり。 本府大乗院の末にして、真言宗なり。 本尊阿弥陀、薬師、観音の三尊とす。 当寺は、天徳元年丁巳の歳、道教法印開基にして、中興開山を堯日法印といふ。 当邑の勅願所にして、宗廟八幡社の別当なり。 当寺の本尊三体は八幡の本地なる故に、安置せりとぞ。