御穂鹿島神社 東京都港区芝4丁目 旧・村社
現在の祭神 武甕槌命 <鹿島神社>
藤原藤房 <御穂神社>
本地
鹿島神社十一面観音
御穂神社聖観音

「江戸名所図会」巻之一(天枢之部)

鹿島神社

同所(芝浦)海浜にあり。 別当は御穂神社に相同じ。 祭礼もまた同じく三月十五日なり。 土人伝へていふ、寛永年間、この浦に、一の小祠漂流して汀に止まるあり。 漁人これを揚げて、その本所を尋ぬるに、常州鹿島大神宮の社地にありし小祠なりけるよし。 また、その頃、十一面観音の木像、同じ海汀に流れよりしかば、鹿島明神も、十一面観音をもつて本地仏とせしなれば、これにもとづきて、当社の祭神を勧請せしとなり。

「御府内備考続編」巻之二十

鹿嶋太神宮(本芝四町目浜)

鹿嶋太神宮(社地、除地九十坪、但除地に相成候年代不相知)
○本社(間口二間、奥行一間半) 幣殿(間口二間半、奥行二間) 拝殿(間口三間、奥行二間) 向拝(五尺に八尺)
  祭神武甕槌命(神躰木立像)
○鹿嶋太神宮縁起
鹿嶋太神宮を当所にいつき祭ることは、大永年中なにとなく沖の方より神殿ひとつたゝよひきたり此浦によれり、 内に白幣一柄たちくる波にすこしもぬれす立り、 いつれの社ともしれねは爰に寄り玉へるゆへなきにあらしと、海はたにかきあけ置たりしに、 日をへて常陸の国人舟にてたつね来り爰におわしけりとて事のよしを語る、 是なん鹿嶋の神山に鎮座の一社なりけるか、ある夜風もなきに此社ひとつ海辺にいさり出波に浮ひて漂ひ出たり、 あまねく津浜を尋求めて漸くこゝに見出たり、本所に帰座し奉んとて船とり付て漕もて去りぬ、 月を越て又同し社のおなし様流れよりし浦をはしめの所にすこしもたかわす、 人にかゝりて託してのたまはく、此浦にしつまりますへし、神祠を海に向ひて建よ、長く海のさちを守り又風波のうれへなからしめんと、 浦人この奇瑞をかしこみ敬ひて此所に宮所を定め、三尾の神と同しく祭る、
[中略]
  本地仏十一面観音銅立像
[中略]
○祭礼之儀者、御穂社同様に御座候、
[中略]
○末社
  天満宮(二尺五寸四方) 神躰幣
  稲荷社(一間四方) 神躰幣
  住吉社(三尺五寸四方) 神躰幣
[中略]
○別当本竜院(本芝二町目御穂明神兼帯す、詳らかなること御穂の条に載)

同巻之二十四

御穂大明神(本芝二町目)

鎮座之儀者文明五癸巳年之由、 除地に相成候年代相知不申候、
○本社(間口二間半、奥行一間半) 幣殿(間口二間、奥行一間半) 拝殿(間口三間、奥行二間) 向拝(五尺に八尺)
  神躰木立像
   往古者三尾大明神と称し、元禄元年御穂と文字相改候、
○御穂大明神縁起
抑当社の由来を尋るに人皇九十七代光明院の治天に武蔵国豊嶋郷芝の浦に年経て住る老翁あり、 其はしめ百敷の大宮人にて南北両朝の時なりしかは、その逆浪をさけてかゝる辺土にさすらへたまひしにや、 其容貌たゝならず鶴髪黄顔玉のことく仙齢いくはくといふことを知らす、 三槐九棘の家にてや有けん、七座八弁の数にてやましましけむ、 更にそのはしめをしらす、ふかく姓氏を〓みいやしき俗人の中に交はり一本の銀杏の下に幽なる庵を結ひておわしけり、 その頃此浦は家居も数なくふたふるの漁人のみにて師もなく医もなく礼節かつて備はらさりしを、 翁ふかく憐みて忠孝仁義を教へみちひき給ひしかは、野夫漁翁其徳になつきてしきりに敬ひ尉殿と称す、 翁其朴訥を愛し玉ふか故に子の親につかへることく君とも神とも此翁をそ敬ひぬ、 或日村翁に告たまはく、此の海に漁猟する者澪の所を知さる故風波の災にかゝることあり、 其所を教へんとて一日船にのりて海上に浮ひ漁人におしへて澪標を立たせた間ひしより長く此浦にその仁恵をとゝめて数百歳の後迄風波の難にあふ者なし、 これ此翁の人を愛しくにに忠なる勲功あらはに残るもの也、 其高徳を慕ひてすみ玉へる庵の跡に仮に宮所を設け奇魂をいはひ祭尉殿の宮とあかめて、在世の時に違はすよろこひを告憂を祈るに感応炳焉なり、 かくて文明年中東国へ下向ありし公卿其任みちて帰路の時此所を通らせ玉ふに、乗りたまへる馬すくみて進ます、 いかなる神のましますにやと村長を召して問ひ玉ふに、此社有ることを申せは、 公卿其本縁の正しきを聞て幣帛をさゝけ帰京の後朝廷に奏し、あらたに奉幣使を玉ひ三尾大明神と称すへきよしなん聞へける、 かの澪標をおしへ玉ひし勲功によるとそきこへし、
[中略]
  本地仏聖観音木立像(丈九寸、行基菩薩之作)
  不動明王木立像
[中略]
○祭礼、三月十五日(但渡祭礼無御座候)
[中略]
○末社(間口一間半、奥行二間)
  正一位幸久稲荷大明神木座像
○別当和光山正福寺本竜院 天台宗山王城彬寺末
平成18年、鹿島神社に御穂神社を合祀して御穂鹿島神社と改称