三尾神社 滋賀県大津市園城寺町 旧・県社
現在の祭神 伊弉諾尊
[配祀] 赤尾大神・黒尾大神・白尾大神
本地
三尾明神普賢菩薩
各別赤尾普賢菩薩
黒尾文殊菩薩
白尾十一面観音

「東海道名所図会」巻の一

長等山園城寺

三尾明神社

南院琴尾谷にあり。 五社鎮守のその一なり。 長等南院の地主神なり。 例祭三月中の卯の日。 神輿三基。 本地堂には普賢菩薩を安ず。 祭神赤尾・黒尾・白尾の神なり。 赤尾を本神とす。 この鎮座は太古にして知る人なし。 白尾は大宝年中に現じ、黒尾は神護景雲三年三月十四日、湖水より現ず。 その古跡を大波止という。 社伝にいわく、 赤尾天照太神、黒尾新羅太神、白尾白山権現。

三尾影向石

社頭にあり。

「園城寺伝記」

本寺三宝の事
 胎蔵界を表するは立印曼陀羅なり、 まづ胎蔵を表する事は、胎蔵は大海に建立す、三井寺また湖水の上に建立され、その義相同じきなり、 また胎蔵四菩薩御影向の地なり、三尾(普賢菩薩)新羅(文殊菩薩)護法(観音)金堂(弥勒)これまた胎蔵界に付するなり、

一、三尾明神の御事
東、黒尾 御本地は文殊、
西、白山権現 御本地は十一面、加賀国においては、伊弉諾、伊弉冊の二神顕われ給うなり、
中、天照大神 普賢、
 秘伝に云く、天照大神に三の尾これ有り、赤、黒、白、この三を合わせて三尾明神と申すなり

「寺門伝記補録」第五

三尾明神祠(南院)

 三尾明神は太古、伊弉諾尊あとを長等山に垂れ、国家を擁護し群生を利楽す、ついに長等南境の地主となる、 この神つねに三の腰帯を着く、色、赤・白・黒なり、その形、三つの尾を曳くに似たり、因て三尾明神と名く、 一時三の腰帯化して三神と作る、一にはいわく赤尾神、二にはいわく白尾神、三にはいわく黒尾神なり、すでにして三神わかれて三処に現ず、 なかんづく赤尾を以て本神となす、しかるにその本神は太古の鎮座、ひとその始めを知ることなし(山上祠)、 白尾神は、文武天皇大宝年中いまの地に現ず(筒井祠)、 黒尾神は,称徳天皇神護景雲三年三月十四日、志賀の浦に五色の波を見はる、 時に一翁あり、黒き腰帯を着け波水を踏んで東より来る、 また一翁あり、赤き腰帯を曳きて西の山よりして下る、 両翁、途中に往き合い懽語時を移して、のち形隠る、 土俗、一祠をその処に造り祭る、黒尾神これなり、(地を鹿関という)、 貞観元年春、開祖、大師、新羅・山王の二神と始て当寺に入る、 時に乗輿の人あり、儀衛はなはだ儼なり、衆多の眷属を将て来て新羅神を饗す、神の鎮座を賀す、 すなわち大師に謂ていわく 「我、この処にありて師を俟つこと久し、今より已後師の教法を擁護しまさに慈尊出世の暁に至らしめんとす」、言いおわりて去る、 大師、新羅神に問う 「乗輿の人、誰れ為るや」、 神のいわく 「長等の地主三尾明神なり」、 大師、この言を聞てのちその祠を復興し神像を模刻して以てその中に安ず、 それよりこのかた天台鎮護の神として霊威ますます崇し、
 また、本殿西の砌、白山権現の祠を建つ、 これ即ち三尾の神、北道にありては白山明神と現る、彼此一体の分身なり、よって即ちここに斎き祭る、 当社の敷地をもと琴緒谷と名く、 谷、清流あり、昔時天人つねにこの処に降り、或は河水に浴し或は絲竹を奏し舞戯、歌詠して神を慰す、 この故に琴緒谷と名く、のちの人すなわち神号に従い緒を改めて尾となしすなわち琴尾谷と名くなり、
 また、社頭の東南近き処、一盤石あり、 相伝にいわく時ありて三神会合す、必ずこの石上に坐す、 故に是れを三尾影響石と名く、
 また、当神の本地を立るに就て総別の二意あり、 別はいわく、赤尾の神は普賢、白尾の神は十一面、黒尾の神は文殊なり、 総はいわく、赤・白・黒の三神共に普賢大士なり、本神是れ普賢なる故のみ