三嶋神社 神奈川県足柄上郡大井町上大井 旧・郷社
現在の祭神
三嶋神社大山祇神・事代主神・伊古那比売命
[合祀] 大山咋神・伊耶那岐神・弟橘媛命・白山媛命・菅原道真
末社・稲荷社宇迦之御魂神
本地
三島明神薬師如来
足柄稲荷大勢至菩薩

「相州足柄上郡大井之宮縁起」

抑、当社三嶋大明神と申奉るは、いとも忝き軻遇突智の命の尊胤大山祇の命なり。 鎮座の来由を尋奉るに、人王七十八代二條院御宇永暦元庚辰年、源二位右大将頼朝公伊豆国蛭か小嶋に流人と成せ給ひ、伊東入道か館に御座の時、同国加茂郡三嶋の明神に信心深く、参籠し給ひ、平家追伐の御願忝く此御社に籠給ふ。 或夜通夜の御夢に八牧判官兼国が奉納せし兜を切給ふと思召、御夢覚ける。 朝拝終て頼朝公奇異の霊夢也と感涙肝に銘し、いよいよ信心在しける。 爰に人王八十代高倉院御宇治承四庚子年三月、八所の三嶋を建立せんと思召、先豆州の惣社を造営し給ふ。 其外所々に三嶋の神社を建立し給ふ。 当社は其随一なり。 時に同年三嶋明神の霊夢に任し、平家追討の試として八牧の判官兼隆を夜討にし給ひ、大に勝利を得給ふ。 其後平家西海に没し天下一統源家に帰す。 時に人王八十二代後鳥羽院文治二年、日本惣追捕使と成給ひ、二位の右大臣に昇進し給ふ。 偏に当社の神恩也。
[中略]
 御本地薬師如来 運慶御作

「新編相模国風土記稿」巻之十三
(村里部 足柄上郡巻之二)

上大井村

三島社

古は大井宮と唱ふ、(別当円泉坊所蔵古文書、及び大住郡石田村民蔵弘治二年の文書、【北條役帳】等に見ゆ) 社地古木蓊鬱たり、 祭神大山祇命、木像四躰を置、(一は長二尺一寸、一は二尺、一は一尺三寸、一は九寸、各運慶作)、 当村及び下大井・西大井・金子、都て四村の鎮守なり、 例祭九月二十九日、 境内に二月二十八日雛の市、十二月二十二日年の市立り、
[中略]
△弁天社 境内池中にあり、
△稲荷社 足柄稲荷と云、(神体は運慶作の勢至なりと云)
△神楽殿
△鐘楼 享保十六年鋳造の鐘を掛、
△本地堂 薬師を安ず、(長三尺、運慶作)
△別当円泉坊 古義真言宗(京仁和寺法末にて、金子村最明寺より伝法す)