三峯神社 埼玉県秩父市三峰 旧・県社
現在の祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
[配祀] 天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照皇大御神
本地 十一面観音

「当山大縁起」

当山の古記に曰、 日本武尊酒折宮よりきためくりへるの土地、鴈坂の山を越して直に当山に登給ひて、遥に国中の地理を望、又郡中の要害を見給ふに谷深ふして苔滑らか也、山高して流早し、此地の軍究て容易かるましきをしろしめし、 倩神代の事を按し給ひて、古伊弉諾尊・伊弉冉尊天の浮橋の上に立せ給ひ、天の逆杼を以て豊芦原の国を平け得給ひし神威の徳功を抑ひて擁護之力を希ひ奉らんと、 今年景行天皇即位四十一年(辛亥)歳四月七日始て当山に仮宮を造営して、伊弉諾伊弉冉之二尊を勧請し給ふ。
[中略]
其後五十三代之帝淳和天皇天長年中沙門空海に詔有て、六十余州之神社に本地仏を改附せしむ。 時に空海沙門東に下るの時、当山に登て大明神を拝し奉り倩思ひらくと云々、左に記す。 夫れ当山社頭伊弉諾・伊弉冉の尊ハ帝王無疆之祖神万民化生之始也。 依之本地十一面観音之種字真言作業之क{ka}字者悉曇字母の最初ニして、諸字皆是より出生す。 然者神仏同理の本意符節と相合たる事実に本有仏性と難有けれと。 つゐに一刀三礼を以将又十一面観世音の尊躰を造奉りて、別に安置し奉り、天下泰平之祈、密家の修法毎々無怠。

「新編武蔵風土記稿」巻之二百六十五
(秩父郡之二十)

三峯山

三峰権現社

山頂平坦の地にあり、 坤向二間四間、向拝八尺八寸、 祭神元禄年中の書上には、国常立尊・伊弉冊尊二神とす、 今は伊弉諾・伊弉冊尊二神と称す、 神体白幣を秘す、 その前に衣冠綵色の木坐像三体を安ず、 其一は、文武天皇長三寸二分、 其一は聖武天皇、長前に同じ、 右二体は高欄付三方扉の輿中に安ず 輿の大さ一尺一寸五分、幅八寸五分、 其一は葛城連好久、長四寸、左足を折右足を垂し像なり、 これは別輿に安ず、高さ一尺に幅六寸五分、 例祭四月八日・十一月二日、 十一面観音を本地仏とす、
本地堂 或は護摩堂とも云、巽向三間二尺四面、 十一面観音木立像長三尺六寸、弘法大師の作、 外に不動一躰を置、
奥院 雲採・白岩・妙法嶽の三峯高く峙てあるを以て、山号となせり、 雲採は本社の巽向七里半程、御林山の内にあり、爰に石権現を祭り、小石祠を立つ、 白岩は本社の東一里程にあり、白山権現を祭りて小社あり、 妙法嶽は本社の東三里程にあり、熊野三社山王二十一社を祭れり、
大日堂 本社の右にあり、
行者堂 前に同じ神変菩薩を安ず、木坐像長三尺五寸、自作なりと云、
[中略]
木華美一基 本社の前、石磴五十級の下にあり、
仁王門 華表より下二町余にあり、東向三間に五間、一尺上に三峰山の三字を扁額す、 左右に仁王を置、共に長一丈、
中堂 本社より二十二町下にあり、南向三間に六間、こゝにて登山の者に茶を接待せり、
不動堂 本社より二十八町下にあり、不動の石像あり、 こゝを滝本の行場とよべり、側に滝あり、飛泉二丈五六尺幅七八尺、水勢激して霧を生じ、冷気甚し、 登るものこゝに皆浴して、身心を清潔にす、故に行場と称せり、
一之鳥居 本社を去ること五十二町、
末社 東照宮御社 坤向七尺四方向拝三尺、妙見社 愛宕社 荒神社 八幡社 西宮社 春日社 稲荷社 弁天社 日天社 月天社 稚日霊貴社 天満社 三部権現社 諏訪社 丹生社 雷電社 熊野社 大黒社 山神社 金毘羅社 山王社二社
不動堂
別当観音院 山頂平坦の地、本社の西にあり、三峰山高雲寺平等坊と号す、天台宗にて聖護院宮の末なり、神変菩薩を開山とす