水主神社 香川県東かがわ市水主 式内社(讃岐国大内郡 水主神社)
旧・県社
現在の祭神
水主神社倭迹々日百襲姫命
摂社・孝霊神社孝霊天皇
摂社・国玉神社倭国香姫命
摂社・熊野三社伊邪那美命 <新宮神社>・速玉男命 <本宮神社>・事解男命 <那智神社>
本地
水主大明神阿弥陀如来
後御前不動明王
左御前地蔵菩薩
右御前薬師如来

「大水主大明神社旧記」[LINK]

抑正一位大水主大明神者、人王七代孝霊天皇第二姫倭迹々日百襲姫命也。
[中略]

大水主社
 大般若経筐造営勧進由縁事。

洛陽城之坤方、讃岐国之東郡、有大明神之霊地矣。 号大水主御社焉。 見左則有長河也。 本地大悲之乳水遠流、而沽万品。 願有則有深山也。 垂跡応化之験風高扇、而靡十方。 無俗物之当、人眼無五塵、妙境之可者。 有流水之洗我心。 有三毒垢染之可雪。 誠是和光利物之場、神明統化之処乎。 抑当社明神者、当国鎮守之内、列為第七。 大内垂迹之内、寂為第一。 言神官任大明神、言位階昇正一位矣。 夫尋本地者、安養教主也、 特超于諸仏、悲願専済於極悪衆生。 左御前者、地蔵薩埵也。 受滅後之付嘱於如来、済六道之苦患於郡[群]類。 此宮与後御前同躰異所也。 私以後之本地不動、与左之地蔵薩埵異躰同心歟。 所以者何。 延命地蔵抑々中心不動、阿字本体故也。 右御前者、医王如来成。 衆病悉除、身心安楽也。
[中略]

大水主大明神和讃

帰命頂礼大明神、三所の和光影清く、三聖一の山に栖み、三身則一なり、
本是大悲の方便は、難化の衆生を渡せむとて、有縁の処に跡を垂れ、応化を施し給なり。
信を致す輩は、求願必ず成就す。歩みを運ふ人は皆、現当悉地を円満す。
愍を懸る其の日より、八百四神相添て、昼夜恒時に身を守る、擁護を加へ給ふなり。
誓て垢離を掻く人は、煩悩罪障漱がれぬ、昼夜に愍を懸つれは、仏性真如も顕れぬ。
思は不思議や明神は、極楽浄土の能化の主、安楽世界の教主にて、万徳円満し玉へと、
往昔大悲の御誓ひ、深く御座故により、葦原国の浅猿き、吾等を導き給はむと、
恭くも人王の、主の君の第七代、その名を申せは孝霊の、第二の姫君たりしかと、
実に皇居の栖には、塵に交る態なくて、大和の黒田の廬戸より、出させ給し御年は、
七歳なりしに稚けなく、独御舟に奉り、虚の空ゆく浪の上、悶れ給うそ痛しき。
御時八歳なりし時、浦に寄りしや船越の、下て休ふ安堵の浦、御腰を掛て居座の宮。
寄て来り其の里の、水さへ惜む物憂さに、璽の石の水を堰、与田に水を掛給ふ。
穴戸の坂の水の門、水徳自在の尊にて、大山戸の水石は、神通現せし創なり。
角ても留る所なく、山を凌き浦に出、海を見付けし津見の宮。袂を落し袖無の、
比は五月の炎天に、池に裾を冷ししに、不測御足を食魚の、咎め給へる故により、
堤は切て流岡、永く絶にし鯰かな。郡に盟を立石の、至らぬ処御座ぬ。
譬は伊勢の神垣は、日本姫に託まして、五十鈴の川の滝祭、尋ね廻りし始なり。
穴穂の処と宣へと、其のまゝ宮居をト給ふ。真の宮代定て、水主に鎮座御座き。
皇女住ます故により、宣旨によりて郡をば、偏に神に奉り、おほちを大内の郡とす。
大御前は弥陀如来、四十八願不愆、四重五逆を不嫌は、三信十念往生す。
後御前は父大王、孝霊天皇崇めます。不動尊の降伏に、悪魔怨霊退きぬ。
十二神将召仕ひ、各七千夜になれは、八万四千の眷族の、千を一人に摂め取、
八百四神の眷族は、高柵三方に列ね置き、十二時中に召仕ひ、善悪賞罰新なり。
左り後に崇めても、猶も御親の孝徳を、高山に准へて、崇め給はむ其の為に、
水精輪の峰の上、神籬高く構ては、千盤ふりすむ御社に、王太神と崇めます。
八百四の神も杖鑰も、緋神子八の神子三郎殿、内客人に至まて、霊験并御座さす。
森羅万象神なれは、嶺に峙岩基をも、松栢竹に至まて、皆神変を現してき。
北御神は地蔵尊、万行憧旗の大菩薩。御母なれは胎蔵の、方位を変す移し置、
仏前仏後の能化の主、聖近士女の悲願にて、五濁悪世の今迄も、地蔵の悲願にしくはなし。
此宮不測の搆にて、大王閑座並へ座し、大明神の父母を、左に崇敬し給へり。
南の御前は早玉や、浄瑠璃浄土の能化の主、十二の誓願妙にして、応跡此土に勝れたり。
当社の三所を御熊野と、同躰なりとは伊弉冉の、五行生ます其中に、火の神猛く不祥くて、
焔に当て魂去ぬ、仮に火の神嫌はしく、水を床しくおほししも、末世の衆生の例なり、
有漏の浮世を物とせす、紀伊国無漏の郡なる、有馬の村や音無の、備への里に葬ます。
和光は神武の比とかや、同塵崇神の御宇にして、日本第一大霊験、結御前を始とす。
神力無窮の盟にて、水徳立むとおほしめし、孝霊の宮の姫の宮、名を水主と顕して、
応和の祈雨にも掲焉、雨雲はやく立靡き、神に斉祈を重むと、大水主と崇めらる。
三の御山の中にして、三所の霊号比なや、那智新宮を左右にたて、本宮証誠を玄武とし、
左青龍の河清く、那智の瀧より落ち来らむ。新宮虎丸右にあり、四神の霊地相応す。
結は水主と一躰と、一紀哩の因果にて、熊野は千手の因の徳 、枯たる木にも花さきぬ。
此には弥陀の西の方、縛魯荼の水徳かたとりて、果徳を高く顕して、神力霊験双なし。
抑当社は当国の、一品一の宮なるへきを、御妹に禅りまし  心安も大水主、
父大王も人王の、第七代の嘉例にて、国中諸神の第七に、備り給ふそ有難き。
乞願は明神の、玉の光の日に添て、自御威光耀て、福智荘厳し給へや。
南無三所大明神、讃歎礼拝功により、本誓悲願不愆、二世の願ひを満給へ。
願共諸衆生、値遇大明神、願共諸衆生、廻向大菩提、
 大水主和讃
従孝霊天皇元年(辛未即位。御年百十)至応永十七年(庚寅)一千六百二十四年。 親依明神之御託宣、直以神言和賛に結玉ふ。 又熊野与明神一躰之事は、依熊野の若殿の御託宣、除今宮五郎の段、熊野本宮結御前与明神一躰之由直承之。 我御山にても、水主にても、雖有因果之不同一ह्रीः{hrīḥ}也。 神言銘肝、結和讃給。
 北御前は 如本宮証誠(天神六代)此は二親。
大御前は 結御前 熊野の両所 
南御前は 早玉 
三所権現とも、三所大明神とも、一躰と云云。

「讃岐国名勝図会」巻之一

大水主神社

同所[水主村]にあり。 社僧大水寺、社司二人。 祭礼九月九日、 祭田三十石
『延喜式』二十四坐ノ一
社後中社 孝霊天皇 左右八百四神
百襲姫陵 本社傍にあり
神輿堂
石像三体 古物。薬師・阿弥陀・地蔵仏、往古の本地なり
神楽堂
庁殿
本地堂 阿弥陀仏、恵心僧都作。不動明王・二童子・十一面観音並びに弘法大師作
御手洗池
門間人 馬場の左右にあり、二体。古物、増吽僧正作
鳥居 二ヶ所。馬場長し
御旅堂
末社 四十六坐、所々に有り
社記曰く、孝霊天皇第二皇女百襲姫、御歳七歳にして倭国黒戸の廬戸の宮を出でたまひ、八歳にして讃岐国大内郡与田郷に止まりましますといふ。