「江戸名所図会」巻之四(天権之部)
高田稲荷明神社
同所(高田)八幡宮より右の方、道路を隔ててあり。
戸塚村の産神と称す。
ゆゐに戸塚稲荷とも呼べり。
本地仏聖観世音は南都徳一大師の作なり。
相伝ふ、当社の権輿はもつとも久遠なりしに、文亀元年辛酉上杉治部少輔入道朝良霊夢によつて宮居を再興し、戸塚村の地を社領に附せらる。
その後、元禄十五年壬午四月、霊告ありて榎の椌より霊泉涌出す。
眼疾を患れる者、この霊水をもつて洗ふに、はたして奇験あり。
よつて土俗、当社をさして水稲荷とも称せり。
毎年二月初午の日奉射あり。
祭祀は九月九日なり。
「新編武蔵風土記稿」巻之十一
(豊島郡之三)
下戸塚村
宝泉寺
天台宗東叡山末、禅英山了心院と号す、
此院号は延宝年中日光御門主より賜ふ所なり、
本尊薬師長二尺春日の作と云、
[中略]
稲荷社
水稲荷と号す、
当寺旧記の写なりと云ものあり、其内に文亀元年再興大檀那上杉治部少輔入道朝良云々とあり、
又【上杉系図】異本に治部少輔朝良、文亀元辛酉年、依霊夢江北高田郷戸塚村稲荷大明神勧請、今宝泉寺境内戸塚稲荷是也とあり、
[中略]
神体は朝良夢中感得の像を彫刻する所と云、
長一尺五寸本地十一面観音長二尺五寸慈覚大師の作、
及陀枳尼天の像を合殿とす