諸岡比古神社 石川県輪島市門前町道下 式内論社(能登国羽咋郡 諸岡比古神社/能登国鳳至郡 石瀬比古神社)
旧・郷社
現在の祭神 岩城別王・天日鷲命・三筒男命・豊受大神・大国主命・国狭槌命
本地 十一面観音

「珠洲市史」第2巻(資料編 中世・寺院・歴史考古)

能登国三十三観音札所ならびに御詠歌[LINK]

第二十七番 鳳至郡門前町道下 銕川寺(廃寺・もと総持寺の地にあり諸岡比古神社の別当、真言宗の寺といわれる。観音は諸岡比古神社のの本地仏であったが、もと銕川寺の護摩堂といわれる宝泉寺に移された) 十一面観音立像
 導きて渡したまへる銕川は願ふ浄土へ参る道筋

「鳳至誌」

諸岡比古神社[LINK]

諸岡比古神社は道下に在り。 天日鷲命を祀る。 旧、銕川明神と称ふ。 社記に據るに是地古は羽咋郡に属す故に「延喜式」神名帳に載する羽咋郡の諸岡比古神社は本社の謂なり。 初め今の総持寺の地に鎮座し別当を諸岡寺と称ふ。 中古是地の銕川に遷座して銕川明神〈「三州志附図」道下に銕川宮石瀬比古神と見ゆ〉と称し別当も亦銕川寺と改称せり。 総持寺に諸嶽山の号あるは本社の遺址なるに由るといふ。 但寛政以降仮に石瀬比古神社の称を胃し明治十五年今の名に改めたり。 今郷社に列す。
三州式社に式内諸岡比古神社在鳳至郡櫛比村此地往昔羽咋郡中古同庄道下村銕川之地故俗銕河明神旧社地諸嶽山総持寺の地是也とあり。 又享保年中に記載せし田中式如の筆記に延喜式諸岡比古神社は今の道下村の銕川明神是也、昔は総持寺の地にありて別当を諸岡寺と称し観音を本地仏とす、中古道下銕河へ移り社を銕川明神と称し別当も銕川寺と改称し総持寺の山号を諸嶽山と号するも諸岡比古神社の旧社地なる故なりと云へり。