大国魂神社 東京都府中市宮町3丁目 武蔵国総社
旧・官幣小社
現在の祭神 [中殿] 武蔵大国魂神・御霊大神・国内諸神
[東殿] 小野大神・小河大神・氷川大神
[西殿] 秩父大神・金佐奈大神・杉山大神
本地
中殿本社大明神釈迦如来
御霊大明神地蔵菩薩
国内諸神聖観音
東殿一宮文殊菩薩
二宮薬師如来
三宮十一面観音
西殿四宮毘沙門天
五宮弥勒菩薩
六宮不動明王

「神道集」巻第三

武蔵六所大明神事

そもそもこの六所は、一の宮は小野大明神と申す。 本地は文殊なり。
[中略]
二の宮は小河大明神と申す。 本地は薬師如来なり。
[中略]
三の宮は火河大明神と申す。 本地は観音なり。
[中略]
四の宮は秩父大菩薩と申す。 本地は毘沙門天王なり。
[中略]
五の宮は金鑽大明神と申す。 本地は弥勒菩薩なり。
[中略]
六の宮は椙山大明神と申す。 本地は大聖不動明王なり。

「江戸名所図会」巻之三(天璣之部)

武蔵国総社六所明神社

府中の駅路の左側にあり。 『延喜式』の内、大麻止乃豆乃天神の社これなり。 後世に至りて、同じく式内小野の神社を合はせ祭る。 ゆゑにいま両社一社の称あり。 神主は猿渡氏、その余、社司・社僧等奉祀す。
本社祭神、大己貴命。 相殿、素盞嗚尊・伊弉冊尊・瓊々杵尊・大宮女大神・布留大神(以上六神、これを俗に六所明神と称せり)、天下春命・瀬織津比咩命・倉稲魂大神(以上三神、これを客来三所の御神と称せり。すべて九神、合はせてとも六所の宮と称す。この三神のことは一宮と小野の神社の条下に詳らかなり)。
[中略]
本地堂(本社の左にあり。中尊は釈迦如来、左右に正観音と地蔵尊を安置す。社僧六箇寺にてこれをあづかる。年中恒例神事等の節は、拝殿において大般若経転読し、この堂においても法楽修行せり)。

「武蔵国総社六所宮縁起并社伝」

多東郡小野県を以て本国之府と為す。呼ひて府中と曰ふ也。
武蔵国総社六所の宮者、人王第十二代景行天皇の四十一年五月五日、威神形を現して告り曰はく、吾は是大国魂の大神也。 祠を茲に立て能く吾を祭れ。 吾を祭らずれば則四海安静ならず。 郷民等神宣に依りて神籬を営建し、称して大国魂神社と号す。 乃ち相殿五神を祭る。 伊弉諾尊・素戔嗚尊・瓊瓊杵尊・布留大神・大宮売命也。 故に六所神社と号す。 後来本地仏九尊を安んず。 其の中者、釈迦牟尼仏・聖観世音菩薩・毘沙門天、 其の左者、弥勒仏・地蔵菩薩・不動明王、 其の右者、薬師瑠璃光仏・文殊師利菩薩・十一面観世音菩薩也。
是より、武蔵国造兄多毛比命、祖神下春の大神祭りて、小野の宮と号す。 然るに大国魂の大神小野県に鎮坐するを以て、本国の総社と為す。 故に小野神社を以て末社と作す也。 小野明神は、総社の西南一里許に在り。 今一宮と云ふ。

「武蔵総社誌」中巻

本地堂

○本地堂一宇、御正殿の東の方に在り、 此堂に置るゝ仏像の事、供僧等が伝へたる法則の文に、 御本地堂九尊御垂跡之事、 本尊釈迦牟尼仏者、本社大明神の御本地也、 地蔵菩薩者、御霊大明神の御本地也、 文殊師利菩薩者、一ノ宮大明神の御本地也、 薬師瑠璃光仏者、二ノ宮大明神の御本地也、 十一面観自在尊者、三ノ宮大明神の御本地也、 毘沙門天王者、四ノ宮大明神の御本地也、 弥勒尊仏者、五ノ宮大明神の御本地也、 大聖不動明王者、六ノ宮大明神の御本地也、 聖観世音菩薩者、七ノ宮大明神の御本地也とあり、
[中略]
当今現在の三躯は、 かの本宮に配する釈迦、 御霊に配する地蔵、 国内諸神に配する観音にて、 一ノ宮以下六ノ宮までに配する仏像は一つも無し、 是を思へば、かの六所に配する仏体は、各々その本社に置たるべければ、 国府の六所ノ宮には、たゞ仏号のみを伝へて、もとより像は無りしにやあらむ

「新編武蔵風土記稿」巻之九十二
(多磨郡之四)

六所神領

六所宮

社地、三町八段二畝十歩、甲州街道の南の側にあり、 石の大鳥居を建つ、往還に臨めり、総社六所宮といへる額を掲ぐ、
[中略]
当社祭る所六神素盞嗚命・大己貴尊・布留太神、共に一殿、是を中殿とす、 瓊々杵尊・伊弉冉尊・大宮女命共に一殿、是を西殿とす、 外に瀬織津比咩・天下春命・倉稲魂太神共に一殿、是を東殿とす、 三殿合せて一社とす、是を本社と云、七間半に三間余、 幣殿三間余に三間、拝殿八間余に三間半、 其中に就て、左右を分ちて唱へをなす、左を般若席といひ、右を神楽席といふ、 四方に瑞籬を繚らせり、 社伝に景行帝の御宇大己貴尊、小川郷小野里に降臨ありしを、里人私に祠を立て祀れり、 成務天皇の朝に及て、兄多毛比尊国造を賜ひて此地に来れり、 庁府を開かれし時、大己貴命に素盞嗚尊等の五神を配して、始て宮社を建て祭れり、これを六所宮と称せりと、 (一説六神は大己貴尊・少彦名尊・事代主命・健御名方尊・武甕槌命・経津主尊なり、又近来大己貴尊・去来冊尊・服狭雄尊・布留太神・大宮売命・亜肖気命を以六神に充るものあり、いまだ孰れが是なるをしらず、今姑く社伝に従ふ) また社伝に総命けて大麻止乃豆乃天神といへりとて、式内の神にあつるものあるは覚束なき説なり、今採用せず、 東殿の三神は櫉扉に印記して、一乃宮小野客来三所瀬織津比咩天下春命倉稲魂神とあり、 一乃宮は即ち多西の一乃宮村祭神天下春命なりと云ふ、 小野は本宿村小野神社祭神瀬織津比咩なり、 今なを二社各村に其祠宇あり、 何の故ありて何かの世神坐を当社に移して、合殿に祀りしや其来由を詳にせず、
[中略]
当社後に本地仏を建て、釈迦聖観音毘沙門を中殿三神の本地とす、 西殿は弥勒地蔵不動、東殿は薬師文殊十一面観音なり、
[中略]
東照宮神殿 九尺四方瑞籬を繚らせり、本社の西に建築あり、
宮姫 本社九尺に一丈二尺、拝殿二間に三間、二の鳥居内東の方にあり、 祭神須勢理比咩・稲田比咩・木花開耶比咩、例祭七月十二日、 鎮座の来由詳ならず、或云、国造の始て祀る所なりと、
本地堂 三間四方、釈迦・地蔵・十一面観音三躰を安す、釈迦を中尊とす、長二尺、 地蔵長一尺六寸、観音長九寸、中尊の左右に列す、
[中略]
末社 八幡社 除地、三丁三畝十歩、小社、本社より四丁程東にあり、此辺呼て八幡村と云ふ、 鳥居あり街道に臨めり、鳥居より社前に至るまで左右松樹を列す、例祭年々八月十五日、
天神社 除地、二段、小社、本社より東一丁余にあり、祭神少彦名命、例祭毎年二月廿五日、
滝神社 本社より八丁程東にあり、小社、稲倉魂太神を祀れりといふ 例祭年々四月初巳日、社前に瀑水あり、六所五月の祭儀神職以下この滝に於て御祓をすなすといふ、
石塚社 除地、四段五畝十五歩、小社、本社の東六丁程にあり、祭神磐筒男命磐筒女命、例祭年々正月十五日