妙義神社 群馬県富岡市妙義町妙義 国史現在社(波己曽神)
旧・県社
現在の祭神
妙義神社日本武尊・豊受大神・菅原道真公・権大納言長親卿
[合祀] 建御名方命・素戔嗚命・国常立命・八衢比古命・八衢比売命・大国主命・弥種継命・大地主命・大己貴命・疱瘡神・伊邪那美命・大日孁尊・祭神不詳
摂社・波己曽社日本武尊
[配祀] 石長姫命
本地
妙義権現千手観音
白雲衣権現(波己曽大明神)虚空蔵菩薩千手観音

「上野国妙義山旧記」

一 尊意御遷化天慶三年二月二十四日也、寛弘三年迄者六十年に成、
一 寛弘三年二月二十四日卯の日託三歳児童曰く、吾是山門座主尊意也、 為仏法守護住此山に向後妙義権現と可仰云々、右之通神託之由申伝候、
一 白雲衣山は仁王第三十代欽明天王の御宇に妙形和尚来朝して仏法を広め日本国の中霊山をたつね始る、□端分給ふ七峯の随一也、 山頭天について白雲腰をめくる、是則白衣観音の現相俯応衆生の効験なれは白雲衣山と号す、 金輪際より自然に湧出の金胎両部十界表示の高嶽なれは無量之山形有り、 仁王四十九代光仁天皇の御宇に妙光菩薩現来開起より、道俗ともに歩みをはこふ、 天竺阿育王の三国の霊地へ石燈籠をなけ給ふ、 遠江国に一基石塔寺、安房に一基石塔寺、上野国に一基石塔寺と申古跡にして袈裟石乃上に現然と立給ふ、 白雲衣山の地主破古曾三社大明神也、
[中略]
一 敬白上州甘楽郡白雲山石塔寺におゐて、妙義権現の社旦を建立して二世安楽の大願を成就せんとこふ勧進の状
それ此山の来暦を尋れは、辱くも推古天皇の勅願来目太子の草創也、 本尊は東方□□の正編知衆病悉除の医王にして霊験年ひさしく威光日あらたなり、 中比天竺の善無畏三蔵来朝して此山におゐて毘盧の大塔を建立し遮那の密厳を安置したまへり、いひつへし天子本命の道場大士の霊跡なりと、 爰に北嶺第十三の座主法性房尊意僧正智行四海をくらり名誉八隈にみち、帝師をなのって紫宸の玉殿にのそみ験徳をほとこして、 菅神の霊祟をとむるの功名、人いつくんそかくつむや、 しかるに宿世の縁あつてあとを此山にたれ衆魔を降伏せんかために魔王の形を化現しまさす、 妙義権現となのつて衆生の所願を成就したまふ、 例せは目連尊者龍王を降せんかために化して大龍と現れて、 ことしなかんつく大水神およひ大施水神より奇異の霊水を奇進せらるゝか故に足をもつて字をうつし、万民の火難をふせき国土をして安楽ならしむ、尤すなはち妙義権現の道力によつてなり、 しかのみならすはこそ(破古曽)明神天満天神などなどは当山の仏法を衛護したまふ、 あ於ひた妙義権現の本地を尋れは千手千眼観世音薩埵三毒七難をのそき二求両願をますたれ候、
[中略]
一 破胡曽大明神は日本仁王四十九代光仁天皇御宇上野国十四郡内利根河西七郡中に群馬之郡地頭は群馬太夫満行と申、榛名山満行大権現と顕、本地地蔵菩薩 同御前に神と顕被破胡曽大明神と成る、 男子八人神と顕る内一人八郎大明神 当山破胡曽三社大明神(満行大権現・破胡曽大明神・八郎大明神)

「白雲山妙義大権現由来」

西上州甘楽郡白雲山高硯院石塔寺妙義大権現は、比叡山拾三代目座主法性坊尊意僧正と申奉る 知徳四海及名誉八根にみち帝の師とそなわり、紫雲の玉殿に進み度々功徳を施し菅神の霊家を止む、 委細は元亨釈書第巻十四丁に出る。 天慶三年二月二十三日、沐浴に御身を清め御弟子恒怡に語て曰、 我日夜欲生と極楽に今改て昇都率闍毘の浮ふに、厚葬唯従続所健一石為標と曰ひて、 同二十四日無病逝去し給、御年七十五歳、御目を瞑後、烏百余集て坊に悲阻す。 見る人不辟す、移て時々飛去といゝ現来先碓氷峠山中に御休被遊候由。 今に峠山中に御休所迚有、近村之者共祭者則是より白雲山に御入、三本杉之内に御腰掛岩御休、諸人不思議の瑞相渇仰敬す。 大伽藍御繁昌、天慶三年より寛弘三年迠六十七年に成る。 寛弘三年卯二月廿四日卯之日三年の児童に詫て曰、 我是比叡山十三代目の座主尊意僧正也、宿世之縁者て此山に住ス、悪魔を降伏シ仏法を守普くの衆生を済度せんとかため妙義権現と可仰と云々。 依而本地仏千手観音菩薩三毒難を除連二求の両願を奉す 大施水神より音霊霊水を寄進す、 故にवं{vaṃ}字をうつし万民火難を防 国土を安楽になさしむ。 白雲衣山は仁皇三十代欽明天王の御宇、妙刑和尚来朝先仏法を弘む。 日本国之内霊山を尋始而踏分給日本七峯之随一也。 山頭天につゐて白雲腰をめくる、是則白衣観音之現相修応衆生の効験なれば白雲山と号、 金輪際より自然と湧出所の金胎両部十界表楽之高嶽なれば、無量の山形有 天竺阿育王三国の霊地石塔など給ふ。 遠江国に一基、石塔寺安房国に一基、石塔寺上野国に一基、石塔寺と申古跡にして、右石塔者袈裟上に現前たり。 石塔寺門中菅原村菅応寺、小児天神出生、菅応寺御朱印九石頂戴被有候、 此里を伏見之里とす。
  哥に、
 菅原や伏見の里を立出て
 榊越して峯へ入なり
又仁皇三拾四代推古天皇御宇久米太子の草創也。 天竺の三蔵法師来朝して此山におゐて毘盧遮那の密教安置し給ふと申。

「神道集」巻第八

上野国那波八郎大明神事

昔は宮内判官宗光、今は大納言右大将殿と申すは、国の為に父たり、人民の為に母たり、大蛇の為に知識たり。 故に人の喜びや積みけん。 その後神と顕れて、多胡郡の鎮守辛科大明神と申すは、京家の宗光これなり。
野粟御前と申すは、尾幡姫これなり。
白鞍大明神と申して、男体・女体在す。 これまた尾幡の権守宗岡夫婦の御事なり。
八郎大明神の御父、群馬大夫満行は神と顕れ、群馬郡の内長野庄に、満行権現とて、満行ミツユキ権現とも読めたり。 今の戸榛名と申すは即ちこれなり。
同じく母御前も神と顕れたまひて、男体・女体在す。 その母御前と申すは、今の白雲衣権現これなり
戸榛名は本地は地蔵菩薩なり。
白雲衣権現は本地は虚空蔵菩薩なり
八郎大明神とは本地は薬王菩薩なり。
辛科大明神は本地は文殊なり。
野粟御前は本地は普賢菩薩なり。
白鞍大明神と申すは、男体は本地は不動明王これなり、女体は本地は毘沙門天王これなり。

「辛科大明神縁起」

宮内判官宗光大納言右大将と申は、国のためには父たり、夫婦のためには母たり、大蛇のためには善知識たり。 故に人の悦やつもりけん。 其後神とあらはれて、多胡の庄の鎮守辛科大明神と申は京家の宗光の事也。
白倉の明神と申は男躰・女躰御座ありける。 是又小幡権之守宗綱夫婦の御事なり。
八郎の大明神之父群馬之大夫満行も神と顕れ、群馬之郡長野の郷に満行権現とて、今の戸榛名と申則是也。
御前も神と顕れ波己曽大明神と顕れ、同脇宮拾弐宮是也。 本地は千手観音、末社七社是也。 去間高田八ヶ村と名付
戸榛名本地地蔵菩薩。
八郎大明神本地薬王菩薩也。
辛科大明神本地文殊の化身。
御前本地普現[普賢]菩薩。
白倉の明神男躰は本地不動明王、女躰は本地毘沙門天王也。