長井神社 埼玉県熊谷市日向 旧・村社
現在の祭神 誉田別尊(応神天皇)
[合祀] 火産霊神・奥津比古神・豊受比売神・木花佐久夜比売命・天照皇大神・素盞嗚命・岩長毘売神
本地 阿弥陀如来

「新編武蔵風土記稿」巻之二百二十九
(幡羅郡之四)

日向村

八幡社

村の鎮守なり、 源頼義奥州征伐の時此地に止宿し、軍陣の首途を祝して、勧請す所なりと云、 按に此地当時の奥州道に属せしこと、慥ならずといへども、府中より高麗郡へかゝり、上野へ入しは必定なれば、此事なしとも云難し、 今当社の縁起あり、建久・大永・文禄の三度に書継し由なれど、本書にはあらず、 其建久の記に曰、天喜五年源頼義奥州征戦之時当郡に滞留、 其頃式部大輔助高郡中西城に居住、城の東に四町四方の池有、大蛇栖て村民を悩、 然るに頼義の命に寄て、島田大五郎道竿と云者、彼大蛇を退治し、其地より利根川迄堀をほり水を通る、是を道竿堀と名く、 其蛇を退治し有しを、頼義征伐の吉事なりとて、当所に八幡を祭る、天喜五年八月也、 建久三壬子年八月十五日日向弥五郎記録写畢 此書記信じずべからざるといへども姑載す、
[中略]
本地堂 弥陀を安ず、
別当三学院 当山修験、山城国醍醐三宝院末