那古野神社 |
愛知県名古屋市中区丸の内2丁目 |
旧・県社 |
現在の祭神 |
須佐之男神・奇稲田姫神 [配祀] 兵主神・八柱神 |
「名古屋市史 社寺編」
那古野神社は西区上長者町1丁目の西側に在り、
西部に於て東照宮と境を接す、
[中略]
旧、天王社(又は亀尾天王社)と称し、城内三之丸(今の第三師団司令部の東部)に在り、
尾張志、名所図会などに当社縁起を引きて、延喜十一年三月十六日、勅によりて此地に鎮座せし由を記す、
天文元年三月十一日、那古野合戦(織田信秀と那古野城主今川氏豊との戦争)の兵火に焼失し、同八年再営す、
慶長十五年築城の時、当社廓内となれるを以て、之を外に移さんとす、
家康往昔の恵報を思ひ、神鬮によりて神慮を定めしむ、
即ち神鬮を取る両三度、遂に遷移の鬮無し、
家康愈敬粛し、神祠を旧地に安んじて奉斎せしむ、
[中略]
祭神、中扉は素盞嗚尊、奇稲田姫命、左扉は兵主神、右扉は八柱神(もと八王子と云ふ)なり、
もとは三神殿に別々に在せしを(名古屋神社誌、尾張国明治神名帳、尾張志)明治五年に一社に集めたり、
本国帳の「愛知郡従一位素盞嗚名神」は此神にして、熱田の末社なる素盞嗚社は、当社の遥拝所なるべしとの説あり(尾張本国帳神社坐地考、神名帳集説、尾張地名考)、
[中略]
別当を安養寺と云ふ、俗に天王坊と称す、
塔頭は常林坊、南ノ坊、西ノ坊の三坊ありしが、神仏分離の際に廃寺となる、
[中略]
史料
天王社廓内神社(南向) 拝殿 鳥居 門(南向)
八王子(西) 兵主社(東)
末社弥五郎殿社 白山社 日宮 月宮
本地堂(西向) 安薬師
天王坊は亀尾山安養寺華王院と号す、
[中略]
天王社の別当にして、仁和寺明王院を兼帯す。
延喜十一年三月十六日、供僧坊十二宇を創建すと云、
蓋し天王坊は其一なりしならん、
往古は藤の坊と号す、
[中略]
本地堂(本尊は薬師如来像なり、後光、台座、大壇仏等は元禄十一年八月藩主光友の寄附)、護摩堂(寺号の額あり、朝鮮雪峯の筆)、客殿(山号の額あり、明陳元贇の筆)、方丈、庫裏、門等有り