中氷川神社 埼玉県所沢市三ヶ島 式内論社(武蔵国入間郡 中氷川神社)
旧・村社
現在の祭神 素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命・少彦名命
本地 聖観音・阿弥陀如来・釈迦如来

「埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父」

中氷川神社

  所沢市三ヶ島5-1691(三ヶ島字宮ヶ谷戸)

歴史

 社記によれば、当社は崇神天皇の代に、神託によって勧請された社であり、初めは素盞嗚尊と奇稲田姫の二柱を祀っていたが、日本武尊が東征に際してこの地を通り掛かった時に霊異を感じ、これに大己貴命・少彦名命の二柱を併せ祀ったと伝えられ、以来、身分の上下を問わず広く信仰を集めるところとなった。
 『延喜式』には、武蔵国四十四座の一つとして「中氷川神社」の名が記されている。 ここに記されている「中氷川神社」は、古くから当社のことであるとも、また市内の山口にある同名の神社であるともいわれているが、両社共に式内社であることを裏付ける確証が得られていないために、今日においてもまだ結論は出されていない。 ただし、『神祇志料』や『旧神祠記』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島とされており、文化十年に地頭の沢次郎右衛門が神職の宮野出雲に宛てた文書の中にも「中氷川神社長宮明神の儀は東照宮様より御朱印被下置、殊に延喜式内の社格、且神主先祖大坂御陣供奉仕候」と記されている。
[中略]
 神宝として、銅鏡四面・鉄鏡一面・曲玉二個・剣一口・卜部芳良の筆による社号額・天正五年銘の本地仏の阿弥陀三尊を打ち出した懸仏など多数がある。 これらを納める一間社流造りの本殿もまた、側面や扉をはじめ、柱や梁などに至るまで、竜や獅子などの細かな彫刻が施されており、江戸時代中期の建築美を今に伝える貴重な文化財となっている。

「延喜式内 中氷川神社由緒」

 当社は崇神天皇の御時、神託によって勧請された社であり、素戔嗚尊と奇稲田姫命の二柱を祀る。 其の後、景行天皇の御時、日本武尊が東征に際してこの地を通り掛かった時に霊異を感じ、天下泰平、国乱鎮護の為、大己貴命・少彦名命の二柱を併せ祀ったと伝えられる。 『延喜式』神名帳に記載される「武蔵野国四十四座の一つ中氷川神社」と伝える古社である。
[中略]
 神宝として、銅鏡四面・曲玉二個・剣一口・ト部芳良の筆による社号額・天正五年銘の本地仏の阿弥陀三尊を打ち出した懸仏など多数がある。 この懸仏は直径40.5センチメートル、高さ30.4センチメートルあり、円形の銅板表面には、中央に聖観音、右に阿弥陀、左に釈迦の三尊を鋳出し、三尊はそれぞれ蓮台にのり、円形光背をつけている。 また上部には釣り下げるための釣手耳があり、背面は表面の突出によって凹んでいる。 古くより中氷川神社に伝えられた神仏習合信仰の遺品であり、表面には「武州入東郡宮寺郷三ヶ嶋村。天正五年九月吉日、林泉坊、願主新左衛門」等の銘文がある。