中山神社 岡山県津山市一宮 式内社(美作国苫東郡 中山神社〈名神大〉)
美作国一宮
旧・国幣中社
現在の祭神 鏡作神
[配祀] 天糠戸命・石凝姥命
本地 文殊菩薩

「作陽志」

堂山[LINK]

西一宮村にあり。 社僧、仲山大明神の本地は文殊師利菩薩なるを説く。 故に文殊堂あり。 今は亡ぶ。 俗に堂山という。

中山神社[LINK]

西一宮村に在り。 或いは仲山に作る。 祭る所の神は吉備武彦命、便ち是れ吉備社と同神なり。 一宮記に曰く、吉備武彦命は備前備中備後三国の一宮なり。 今按ずるに美作はもと吉備の国。 和銅六年四月乙未、備前を割きて、美作を置くの時、吉備一宮を勧請し、又美作一宮と為す。 蓋し中山と号するは吉備中山より之を移せるを以ってなり。 凡そ当社の地名、備中と符合する者衆し。 下を見よ。 相殿は吉備津彦命、吉備津姫命を祭り、合して三座と為す。
[中略]
一説に中山神社の三座は、中は鏡作命、左は天糠戸命、右は石凝姥命となす。
[中略]
九月二十一日流鏑馬、社僧大般若を転読す。 初め文殊堂に於て之を修し、堂亡びて後神前に読む。 堂趾尚存す。 社僧説いて曰く、中山神は本地文殊師利菩薩なりと。

「津山市史」第七巻

第六章 宗教と福祉活動[LINK]

津山でも、愛山を例にとると、神道系の東照宮と、仏教系の地蔵院(元寿延寺)とが同一地内にあったのが、地蔵院の敷地を半分に分けることになった。 また、この時、鶴山八幡神社の本地仏の阿弥陀如来、総社宮の毘沙門天王、一宮中山神社の文殊菩薩、徳守神社の不動明王、二宮高野神社の普賢菩薩が、各神社から地蔵院に移され、一緒に祭られるようになった。

「中世諸国一宮制の基礎的研究」

美作国

Ⅰ 一宮

1 中山神社(中山大神宮)。
5 備中国吉備津神社の裏山(吉備の中山)に鎮座する神を勧請。 その名は、中国古典『山海経』の中の産鉄・製鉄を描いた『中山経』の影響であろう。 『今昔物語集』『宇治拾遺物語』では「猿神」を祭神とする。 その他、鏡作神、大己貴命、中山祇神、吉備武彦命、吉備津彦命などが祭神とされる。 [中略] なお、慈覚大師の創建と伝える天台宗真応寺の寺伝によれば、中山大神の本地仏は文殊菩薩であった。
6 『美作一宮誌』によれば、神宮寺(いまは廃寺、現在の津山市小原に所在)の僧が、中山神社御鉾祭において「仁王経」を転読したとされる。 またこれとは別に、慈覚大師の創建と伝える天台宗真応寺があり、寺伝によれば4月の田植祭や9月の秋祭に同寺の僧が「大般若経」を転読したという。