丹生都比売神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野 式内社(紀伊国伊都郡 丹生都比女神社[名神大 月次新嘗])
旧・官幣大社
現在の祭神
丹生都比売神社[一殿] 丹生都比売大神
[二殿] 高野御子大神
[三殿] 大食都比売大神
[四殿] 市杵島比売大神
摂社・若宮行勝上人
本地
一宮(丹生)胎蔵界大日如来釈迦如来
二宮(高野)金剛界大日如来阿閦如来(薬師如来)
三宮(気比)千手観音
四宮(厳島)弁才天文殊菩薩
若宮不動明王
末社皮張明神毘沙門天文殊菩薩
皮付明神毘沙門天

「紀伊続風土記」巻之四十八(伊都郡第七)

天野荘 上天野村

○丹生四所明神社
 一宮 丹生津比咩大神
 二宮 丹生高野御子神
 三宮 笥飯神
 四宮 厳島神
以上四社檜皮葺千木堅魚木あり 大宮作極彩色梁行一間四尺余桁行一間四尺(毎社小異あり)
右四所明神の内一宮二宮は丹生高野二柱の神にして往古より此地に鎮まり坐せり 三宮四宮は中世以後加へ祀る所にて合せて四所明神と称ふはいといと後の事なり 祝部丹生氏は紀国造と同家にて往古より当社に奉仕して今に至る 中世以来高野山検校社務を兼職し一山最尊崇を極るを以て諸殿雑舎大に備はり最壮麗を尽し祭祀神事怠慢ある事なし
 長宮(梁行五尺桁行二間二尺 本社の左にあり)
  祀神五座(皮張神 皮付神 土公神 大将軍 八王子)
 長宮(梁行五尺桁行二間六尺一寸 本社の右にあり)
  祀神六座(八幡 熊野 金峯 白山 住吉 信田)
 衣比須宮(梁行五尺桁行三尺三寸 右の長宮の次にあり)
  祀神十二王子之一合祀百二十伴神
  以上三社十二座の神を十二王子といふ 旧は高野明神の社に合祭せしを承元三年行勝上人分ち祭る所といふ
 若宮(梁行六尺八寸桁行六尺六寸 衣比須宮の東にあり 行勝上人建保五年五月七日遷化の後当社を造りて其霊を祭る故に行勝社ともいふ)
 内鳥居(四社の中央にあり 高さ二間二尺幅一間三尺 格子の扉あり)
 瑞籬(内鳥居の左右本社末社を囲繞して東西長さ十七間余)
 中門(梁行二間二尺桁行三間六尺 二階造 高さ一丈二尺 内の鳥居の正面にあり)
 右前殿(中門の西に接す 桁行十三間五尺梁行三間七尺 車寄透廊太鞁部屋大般若蔵承仕部屋別あり 東北隅御馬屋芝といふあり 古の厩の趾といふ)
 左前殿(桁行十一間餘梁行三間一尺 中門の東に接す 拝殿神人庁神楽所神子部屋の別あり)
 御供所(桁行九間三尺梁行四間二尺五寸 右前殿の坤にあり 西の端に竈門明神を祀る)
 舞台(方三間余 右前殿の前にあり)
 楽屋(桁行五間四尺梁行二間五尺 舞台の西にあり 中間に橋を架す)
 鐘楼(方一丈一尺 舞台の西にあり 洪鐘に応仁三年の銘あり)
 持所(桁行七尺間四間梁間同三余 本社の西にあり 本尊両頭愛染明王大師四十二歳の作といふ 外に愛染明王一区覚鑁上人の作といふ 大壇の裏に正和年中銘文あり)
 護摩所(方三間本社の東にあり 一に壇所ともいふ 本尊不動明王智証の作といふ 天野口伝鈔に行勝上人の遺跡也とあり 持所護摩所を天野両僧といふ)
 御影堂(方三間護摩所の東にあり 二位禅尼の草創といふ 本尊弘法太師は旧北院御室の本尊なりといふ)
 多宝塔(方二間三尺余 御影堂の北にあり 本尊大日如来)
 神輿堂(梁行二間五尺桁行二間六尺 多宝塔の北にあり 神輿二乗を納む)
 山王堂(七尺間方六間四尺 神輿堂の西北にあり 又は本地堂とも曼陀羅院ともいふ 或は大師の草創ともいふ 又東三條院御願の堂ともいふ 四社明神の本地仏胎蔵界大日如来・金剛界大日如来・千手観音・弁財天女を安置す)
 不動堂(梁行三間余桁行三間四尺余 山王堂の西北にあり 六月十日此堂にて社家に月俸を与ふ 依りて御蔵ともいふ)
 荒神社(方二尺六寸 不動堂の北にあり 瑞籬鳥居あり 社の前に石地蔵あり)
 長床(桁行二十五間余梁行四間 不動堂の西北にあり 西の端に行者堂あり 方二間二尺 中央役行者像左に義明右に義覚の像を安置す 東の端に小庵室あり 長床の後に芝あり 三角芝といふ 葛城先達の行所なり)
 宝蔵(二間に三間 行者堂の南池ノ中にあり 前に土橋を架す 行人方神事の具を蔵む)
 一切経蔵(二間に三間 宝蔵の西池ノ中に並へり 前に板橋を架す 仁和寺道法親王御灌頂の時行勝上人命を奉し止雨の法を行ひ即験あり 其賞として此経蔵を造り宋本の一切経を蔵む)
 鳥居二基(中門の北輪橋の南北にあり 南にあるを中の鳥居といふ 高さ二丈四尺余 北にあるを外の鳥居といふ 高さ一丈七尺 扁額に正一位勲八等丹生大明神正一位勲八等高野大明神と書す 宮法印道守の筆なり 外の鳥居の内に螺籟石といふあり 四月十日螺を此石上に吹きて明神の神幸を送る故に名とす)
 輪橋(長さ十間余幅二間余 本社の正面五十間許池に架す 池中に小丘あり 相伝ふ往古八百比丘尼神鏡を納めし所といふ)
 石碑四基(中の鳥居と輪橋との間にありて左右に列建す 修験者の建る所なり)
 大庵室(東西十六間余南北十一間 輪橋の西にあり 上下の門及長屋あり 大師曼茶院を此地に草創し後山上に移す 雅真僧都其旧跡に山王院を草創せし旧地なりといふ 学侶方以下大衆の宿所とす)
 祝詞棚(外の鳥居の西北にあり 神輿渡御の時海部郡和歌浦玉津島明神へ浜降の神幸の式をなして祝詞を捧くる所なり)

一宮丹生津比咩大神 延喜式ニ曰丹生都比女神社名神大月次新嘗 本国神名帳曰正一位勲八等丹生津比大神とある是なり 丹生津比咩は伊弉諾伊弉冊二尊の御児天照大御神の御妹にして稚日女尊と申し神世より本国和歌浦玉津島に鎮まり坐せり 神功皇后新羅を征伐し給ひし時此神赤土を以て功勲を顕はし給ひし故皇后凱旋の後伊都郡丹生の川上菅川藤代峰に鎮め奉れり (菅川今筒香と書す 藤代峯上人水呑峠又右堂カ峯或は子粒カ嶽ともいふ 古老伝へて藤代ノ峯ともいひしといふ 其地は上筒香東富貴和州坂本三村の界なり 此辺より流れ出る川を丹生川といふ 西北に流るゝ事五六里にして紀州に入る 此峯より東の方和州に流るゝ川を又丹生川といふ 神武紀に丹生川上といふ是なり 此辺総て赤土を生するを以て丹生の名あり 又上筒香村により川上東へ登る事三十町許に天照大神顕れ給ひし旧地といふあり そは丹生明神の訛伝なるへし 又筒香村の西川の下に明神岩といふあり 土人伝へて筒香明神の影向石といふ 是又御鎮座の時始めて下り給へる石なるへし 今上筒香村に丹生四社明神を祀りて荘中の氏神とす故に是を筒香明神といふ) そは此神の居まく欲し給へる処なるにや (書紀に皇后御凱旋の後功勲を顕し給へる神等の功労に報ひ給ひて其鎮り座らんと欲し給へる処にそれそれ鎮め奉りし事を書して 稚日女尊誨之曰吾欲居活田ノ長海峡ノ国ニ因テ以海上ノ五十狭茅ヲ令祭 とあるは延喜式摂津国八部ノ郡生田神社なり 生田社当社と勲位も同等なるを見れは同神にて荒魂和魂を別ち祀れるにて住吉の神荒魂和魂を別ちて長門と摂津と両所に祭りしと同類ならむ 書紀に其偏を洩して載せさるとも下文引く所の播磨風土記に其漏せる方を書せは此二書を合せて此御神の事備はるといふへし) 是より一神両所に分れ立ち給ひて御名も別に称へ奉れるなり (事代主ノ神初は阿波ノ国に座しゝに後皇后を助けて功勲を顕し給へるにより摂津国長田に鎮め奉る 式に阿波ノ国にては事代主神社といひ摂津国にては長田神社といふと同例なり) 然れとも旧一神なるを以て其間十余里を隔つといへども毎年九月十六日神輿玉津島に遷幸なし奉る 名つけて浜降の神事といふ(祭祀の部并せ考ふへし) 又紀伊国造と天野祝部とは共に天名草彦の子孫にして玉津島神は国造の斎ひ祀れる所丹生神社は天野祝部の斎き祀る所 神輿遷幸の事も日前宮の神職と共に同く事を執行ひし事皆異神ならさる証とすへし 此御神皇后を助け給へる事詳に播磨風土記に書せり
[中略]
此御神かく異国降伏の功あるによりて弘安四年蒙古皇国を浸しゝ時も当社の霊験殊に著るく勲功を顕はし給ふ故に和泉国近木荘を寄附せられし事あり 是故事に遵ひて御祈願ありしなり 当社初筒川藤代峰に鎮まり坐しに夫より処々に遷り給ひ最後此天野の地に遷り給ひ永く此地に鎮り坐せり
[中略]
二宮高野明神 本国神名帳に正一位丹生高野御子神といふ是なり 祀る神詳ならす 高野山の地主神なるを以て高野明神と称ふ 神世より高野山上に鎮まり坐して天野祝の斎き祀れる処なり 書紀に神功皇后の巻に天野祝と志野祀合葬の事あり是なり 応神天皇の御代に至りて丹生明神今の社地に鎮まり坐せる時此御神をもこゝに遷し奉り此地にて丹生の神と一所に祀るを以て神名帳には丹生高野御子神といふなるへし 今高野山壇上にも丹生の神高野の神を祀りて地主神とす 是大師の時よりかく祀り来りたる由なれとも本より其地に鎮り坐して其社の方本社にや今定めかたし 寺家の説に高野明神は丹生津比咩第一の其子といひ或は丹生津比咩と夫婦の神といふ 皆稽據なれは信用しかたし 今山上の寺院に多く束帯せる神像の丹生明神と相対する画を蔵む是高野明神の神像なり 又別に狩場明神の神像あり(此像は猟師の姿にて白黒二匹の犬を牽けり 是は大師始めて登山の時嚮導せる姿を画きしなり) 世人多く是を高野明神化現の像とするは謬なり(詳に三谷荘皮張村丹生狩場明神の條下に弁せり)
三宮四宮祀る神数説あり 正応六年太政官牒に当社四社明神之中三大神蟻通神とあり 然れとも蟻通神如何なる神なる事を知らす 寺家説には丹生明神は母神なり 二宮三宮四宮は丹生明神の御子にして二宮高野明神は男神なり其余は女神なりといふ 按するに高野明神は此地の地主神にして神世より此地に鎮り坐る事幾百千年とも知るへからす 丹生明神は播磨風土記に載する如く神功皇后の御世始めて筒川藤白峯に鎮め奉り其後此地に遷り給ひし御神なれは高野明神と神縁在せる事古文書に見えす 且古は二柱の神に在しゝ事分明なるに(延喜式には丹生都比女神社一社を載せられ本国神名帳には正一位勲八等丹生津比咩大神あり 又正一位丹生高野御子神あれは此二坐の神に止まれり)三宮四宮まても皆丹生明神の御子神にして四坐相連なりし神といふ最信用しかたし 社家の説に曰三宮四宮は行勝上人総神主と共に同し霊夢を受け尼将軍に請ひて承元二年創建する所にして三宮は気比明神なり四宮は厳島明神なりといへり 按するに鳥羽院の御宇清盛安芸守たりし時彼国を以て高野の大塔を造営すへき由院宣を賜りて清盛登山せし夜の夢に大師化現して越前の気比と安芸の厳島とは西海北陸境異なれとも金剛胎蔵両界の目出度所なるを気比の社は繁昌して厳島は荒廃せり相搆へて修理し給へと語ると見て夢覚たり 清盛高野下向の後院参して右の夢想を奏聞して任を延て厳島を修理せし事盛衰記に詳なり 是に據れは清盛夢想の事大師の意に出るを以て行勝の徒大師の教に従い清盛の意を受て二神の此地に創建せるなるへし 寺家にいふ所の駕空の説に比すれは差理に近し 恐くは其の実を得るなるへし

高野山之部 巻之二十(天野社之上)

凡神化無方にして形迹また一定ならす 然れとも従本垂跡の化現その儀形なきにあらす 遺告に吾上登日現人体語曰等と筆し又(高野絵図の巻)吾住時頻在明神示現なとあれと其儀相如何とも翰墨に載給はす 現今崇祀り奉る様は丹生は天女形にて手を拱き団扇を持し高野は黒袍の束帯にて冠を戴き笏を執り給へり 是は大師の時示現ありし尊容とも知らす 南山要集に興然伝云高野山昇位房曰天野本地 一宮(丹生女形大日) 二宮(高野男形薬師或説阿閦云云私云阿閦薬師同仏習故歟) 三宮(女形千手) 四宮(童形弁才天) 密教相承抄云古老古伝云 一宮(女体) 二宮(阿閦高野俗体執冊口伝云両所親子也) 三宮(千手王子女体) 四宮(弁才天王子女体) とあり 賢宝遺告口訣に 一宮丹生(女体御手コマヌク) 二宮高野(俗体執冊口伝云両所親子也) とありて三四宮は共に女体とのみ云 或記に丹生氏覚日房伝と標して 一宮本地胎蔵大日(女体) 二宮本地金界大日(俗体) 三宮本地千手観音(女体) 四宮本地文殊師利菩薩(童形) と述たり (重義の両大明神口決に一宮釈迦二宮薬師いふ一説あり又自性上人七巻抄に丹生大明神天野本地釈迦也御山胎蔵大日也と云云)
[中略]
当社本地を弘安八年一宮注進記には勘弘法大師御手印縁起并丹生大明神宣命云当社権現者本地位尊中台八葉之心垂跡不鄙乾道七代の胤子と称し 山王講式にも丹生大神を胎蔵大日に配し高野御子を金剛界の大日とす 其他の秘訣社伝信堅興廃記宥快薬草記等皆同し (建長三年の託宣に両所之本地は不動愛染也云云 又云不動愛染は金胎両部也 丹生明神胎意得北不動ナルヘシト存歟云云 按するに不動は胎蔵の教令輪身愛染は金剛界三十七智の内証なれは金胎両部の大日とするも其意違ことなし 深義更に問 又南山要集に昇位房の伝とて高野明神の本地を薬師或は阿閦とすること金堂に就て習ひあること聞ふれと是は本義に違へは異伝なるへし 但御託宣に鎮守両所権現雖有異説皆可信信不可空とあれは只信水を要として種々の疑氷を抱され) 三宮の本地は千手観音四宮の本地は弁財天なることは諸説一同なり 覚日房の伝は四宮の本地文殊童形と注するは異伝なり
 総社
長宮(左瑞籬内にあり 五扉合殿羅列す[以下略])
 皮張 皮附 土公神 大将軍 八王子
長宮(右瑞籬内に合殿六扉羅あり[以下略])
 八幡 熊野 金峯 白山 住吉 信田
恵美須宮(右長宮の次にあり 合殿一扉にして恵美須は十二王子の随一なり 外に百二十伴神を并せ祭る[以下略])
此摠社は承元十二年行勝上人の建立にして其已前は高野明神社に合祭されること上に云か如し 天野口伝抄には摠神主大夫云と標して上に列る御名を挙 天野ミコゲンゴ笛吹(歳八十老云云)と標し 西摠社東ハレハ皮張次皮付次熊野土宮祭一不覚之 又東西片八幡次住吉次ミタケ此外不覚之 次エヒス次若宮(行勝上人)云云 蓋この十二王子の御名も大師の時より相伝也 詳ならす 弘仁十年五月三日金剛峯寺最初勧請鎮守啓白文に勧請百二十所伽藍一十二四神云云今新奉勧請朝中之霊社一百二十社四方各鎮三十社毎月日別各一社為檀主助人法為鎮将持伽藍云云 (但百二十伴神の御名古来詳ならず 山上御社の條に啓白文及自性上人の七巻抄等を引て十二王子を四方に配し一十二四神といふの説を出すかことし) 密教相承抄に古老伝大行事皮張老俗体御眷属之中為上首摠百二十所也云云 (勢州丹生山縁起に高野神娵栲幡千々姫命生両子即十二子首初皮張皮付之両神也とのふは異伝なり) 山王講式(尚祚)に如彼十三神息三所本地顕然自余者不分明今至此百二十伴眷属一所内証炳焉自外者未伝聞所謂小神眷属上首大行事皮張社者文殊大士変現後身也云云 (皮張を百一十に摂属するは上に所列の十二子とは異なる伝へなり)
若宮(人は行勝宮と云 恵美須宮の瑞籬の中にある小社[以下略])
天野神書云 上人及欲遷化之時招丹生祝謂曰吾不遠而可遷化必莫令荒廃神前吾亦可成擁護当社之神祝夫建社崇祭吾乎否 祝曰上人為中興当社之僧豈敢不礼敬之乎 建保五年五月七日遷化之後則造宮一社之神号若宮 (名徳伝本朝僧伝に建長六年四月二十八日化すといふは誤也 口伝抄に若宮行勝上人とあり) 山王講式(若宮の段)に本地者大聖不動明王垂跡者明神輔翼霊神也云云 覚日房伝に若宮本地不動明王凡夫所行勝上人実名真俊 (此凡夫所とは天神地祇を祀れるにしもあらされは爾云ふことと思はる)
[中略]
山王堂(又本地堂 神輿堂の西北にあり[以下略])
本壇に四社の本地仏を安す 胎蔵界大日如来(長二尺八寸) 金剛界大日如来(長五尺五寸) 千手観音(長三尺七寸) 弁才天女(長二尺五寸 四躯共座像) 各作者詳ならす 此堂に於て毎年正月十四日修正会を行す 四月晦日より五月三日まで法花八講を行す 鑁阿上人の発願後白河院の叡願はその用途米附す 歳時記にあり

「諸社禁忌」

天野。
本地。 丹生。(大日。或金大日) 高野。(薬師。或胎大日) 三大神。(千手) 四大神。(弁財天) 皮張明神。(毘沙門) 皮付明神。(同)

「仏像図彙」

高野山四社明神

丹生大明神

天照太神御妹也
御女躰に現れ玉ふ事は天下万民の母として生長養育の恵みをあつく施し玉へり
[図]

高野大明神

丹生権現第一の御子
本地金剛界摩訶毘盧遮那摩尼殿常恒説法の教主也
[図]

気比明神

丹生権現の御女也
高野明神御妹気比足姫尊也
是筍飯宮申
去来沙別神名く
[図]

厳島

四宮権現
丹生権現御息
本地是大弁財天女
[図]