丹生官省符神社 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院 旧・郷社
現在の祭神
丹生官省符神社[第一殿] 丹生都比売大神・高野御子大神・大食都比売大神
[第二殿] 天照大神・市杵島比売大神・八幡大神・春日大神
[第三殿] 宇迦魂大神・猿田彦大神・保食大神・金山彦大神・木花開耶姫大神・八王子大神・迦具土大神・飯炊大神・菅原道真・金刀比羅大神・蛭子大神・大黒天神・槙尾大神・子守大神
本地
一宮(丹生)胎蔵界大日如来
二宮(高野)金剛界大日如来

「紀伊続風土記」巻之五十(伊都郡第九)

官省符荘 慈尊院村

○神通寺七社明神 境内周百四十間
 一宮(一間六尺) 祀神 丹生明神
 二宮(同) 祀神 高野明神
 三宮(同) 祀神 気比明神
 四宮(同) 祀神 厳島明神
 三社宮(二間六尺三扉) 祀神 大神宮・八幡宮・春日明神
  十二王子社(方三尺五寸)
  百二十番神社
 瑞籬 拝殿(二間十三間) 舞台
 本地堂(本尊金胎大日如来) 神輿堂
 大黒天堂(今御供所と称す) 鳥居
慈尊院の山上石階を登る事一町許にあり 官省符荘二十一村の産土神なり 七社の中丹生高野明神は弘仁年中大師の勧請なり(十二王子百二十番神の二社も同時の勧請なりといひ伝ふ) 気比厳島二神は文明年中の勧請といひ伝ふ 此四社天文の洪水以前は北の方宮の橋といふ地にあり(今川床となる) 三社宮は古官省符荘の氏神にて今の社壇の巽一町神楽尾山にありしを天文年中慈尊院に移せし時倶に移して七社明神とし一荘の総氏神とす(旧地を今古宮の壇といふ 今に宮の雑費三分の二は修理料より出し一分は氏子より出す 是又古三社を氏神とせし証といふへし) 祭礼九月晦日なり 高野山南院・高室院・遍照尊院此三院別当職を兼ね依りて三院別当領七石宛を領す 什宝に菊一文字太刀一振(真田幸村の奉納といふ 今一宮に納む 銘に奉寄進御太刀一振菊一文字弐尺七寸五分紀州伊都郡慈尊院正一位勲八等丹生七社大神等云々とあり 箱の書記に施主九度山とあり) 国次太刀三振(永正十二年粉河幸蜜蔵院の奉納といふ) 神主二人(坂上左内・吹本宮内)巫女二人あり

高野山之部 巻之二十二(慈尊院)

神通寺壇

 七社大明神
一宮丹生明神(正面一間妻六尺許北向なり 二三四の殿様并に此と同し)
二宮高野明神(已上は本より大師の御勧請にて弘仁年中の此とそ 然も御手印の図には政所に於て両社の名も見さるなり 但文明中に古境より此に曵移すなり)
三宮(三四の宮に就て祭神異説等は天野の條に詳にす)
四宮(已上二社は文明に一二の遷座ましまし時天野に准擬し新に勧請して四所を合祀す)
三社宮(一宮の西に并ふ 殿面二間妻六尺余一棟にして三扉を構ふ 天照大神八幡春日の三神にして往昔より神楽尾山に鎮座し給ひ官省符庄の氏神なり 天文の比この地に移し四所明神を加へて七社と唱へ崇敬し奉るなり)
十二王子小祠(三社の西にあり三尺五寸四方の宮造)
百二十番神(四宮の東にあり二尺六寸許の祠なり 此二小祠の勧請上に準ず)
已上七社及ひ末社とも瑞籬の囲み華表あり 二十一面を期として葺替し落慶は学侶下向して曼荼羅供を修する永格なり
本地堂(四間四面 草創詳かならす 旧く慈氏等の境内にあり 慶安三年此所に曳て再建す 七社より北に倚て西向) 本尊金胎大日如来(此は常堂再建の時高野山桜池院応円梨遮再造せらる) 毎歳九月祭礼の前日高野山南院・高室院・遍照尊輪番導師となり衆僧を此堂に引率して本地供理趣三昧を執行し当日馬一頭を出す
[中略]
拝殿(二間に十三間 七社の前にあり 天正年中創建 氏子修造社殿修理落慶法事等此殿に於てあり)
御湯鼎(永正十二年丑三月作 御湯を奉するとき拝殿の南西の方に居ゆ)
舞台(二間半四方 拝殿西北の方 南向 天正年中建立)
鐘楼堂(一間半四方 拝殿の西少しく北に倚 此梵鐘天正四年の作 明和元年再鋳 氏子修造なり)
神輿堂(三間に二間 是亦天正年中の建立 氏子の修造なり 神輿二乗あり)
大黒堂(往古面四間妻二間半の堂是あり当時廃頽すとそ 寛文二年天野慈尊院堂社書記の冊子に見ゆ 今は二間半四方 安永年中再建 東向なり)
御供所(東向 安永年中建立)
大華表(笠木四間幅二間半 石壇の上にあり 社前の小華表に対して大の字を加へ呼 承応四年九月創建なり 此に正一位勲八等丹生七社明神の額あり 此位勲は別て丹生高野の二社のみありて余五社に関係せさる歟)
神宝(太刀壱口は片山一文字 是真田幸村の奉納すとそ 同国次太刀三振あり 永正十二年五月粉河寺密蔵院総義の献納するところ)