丹生酒殿神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷 旧・村社
現在の祭神
丹生酒殿神社丹生都比売命
[配祀] 高野御子命 <狩塲明神>・建御名方命 <諏訪社>
鎌八幡宮誉田別命(応神天皇)
本地
丹生酒殿明神弥勒菩薩
鎌八幡宮阿弥陀如来

「紀伊続風土記」巻之四十七(伊都郡第六)

三谷荘 兄居村

○諏訪明神社 境内(東西三十六間南北三十九間)
 鎌八幡宮
  経蔵 拝殿 御供所
村中にあり 鎌八幡宮は社壇の中に櫟の大樹あり 囲二丈許 是を神とし祭り鎌八幡宮と称し別に社なし 祈願の者鎌を櫟樹に打入れ是を神に献すといふ 祈願成就すへきは其鎌樹に入ること次第に深く叶はさる者は落つといふ 根より上二丈許の処鎌を打つこと蓑のことく寸地の空隙なし 鎌の深く入るものは樹中を貫きて芒刄外に出る事一寸余もあり 実に奇といふへし 其鎌は大小好に従ひ社前に売ものあり 祈願の者は一時に千挺も打者あり 然るに其木鬱蒼として繁茂す事は左の記文に詳なり 旧村中諏訪次郎右衛門といふ者村の鎮守諏訪明神の境内に仮殿を造り八幡宮を奉す 神霊社内の櫟樹に託る 櫟樹の側の小社は諏訪の神なるを鎌八幡宮の名盛にして本社の神名を人しらす或は誤りて天照太神宮とす 諏訪の家代々神主たるに元和六年の火災に旧記灰燼となり伝説の詳なるを失ふ 諏訪の末葉今望月嘉八郎といふ地士にて神職を兼たり 高野山より鎌八幡宮神酒料として大豆高六斗寄附あり
[中略]
○極楽寺
村中にあり 本尊無量寿如来阿弥の作にて鎌八幡宮の本地仏といふ

三谷荘 三谷村

○丹生酒殿明神社 境内周三町二十九間
 本社(方一間半) 摂社(方一間半 祀神狩塲明神)
 末社一社 十二扉
  皮張明神 皮付明神
  土公神 大将軍
  八王子 八幡宮
  熊野権現 金峯山白山権現
  信田明神 住吉明神
  西宮明神 十二王子
 本地堂(本尊弥勒菩薩) 舞台 宝蔵
村中にあり 一荘の氏神なり 按するに貞和五年の寄進状に三谷酒殿とあり(天野社蔵) 又石燈籠并に花生には丹生酒殿又酒殿とのみ刻む 丹生酒殿を主として祀る事詳なり 伝へいふ 本社丹生明神は崇神帝の御宇大和国丹生川上より榊を持して此地に降臨し給ひ後天野村に移り給ふ 故に森を榊山といふ 丹生明神此地に降臨の時初めて神酒を献す 是神前に酒を献する初めなり 故に又酒殿とも称すといへり 文暦元年の文書に御榊山去建暦二年正月十八日奉納御宝殿又曰是為大明神根本垂跡地之故也又曰御榊山者東限御手洗谷南限天野横峰西限栗栖谷来北限谷合也(并に天野社蔵)とあるは即此地なり 摂社狩塲明神村中竈門屋敷にて誕生ありといふ 祭礼九月二十日なり ○丹生明神降臨の地天野丹生明神の祝辞に紀伊国伊都郡庵太村の石口に天降坐とあり 当村の東慈尊院村古庵太村といひてそこに降臨ありといふは恐らくは誤なるへし 古庵太の名此辺より慈尊院村九度山村まての総名なるへし(九度山村の艮広平の田地を安田島といふ又庵田とも□す) 明神此地に降臨の事は酒殿社別当福林寺宝永中の鐘の銘及社記に詳なり 丹生狩塲二神の始末は天野社の條下に見ゆ 神主は天野社神主丹生氏兼帯す
  別当 福林寺
明神の境内にあり 本尊不動像七尋滝より出現す或は弘法大師の作なりともいふ 高野山より護摩料三石を附す 釣鐘堂護摩堂あり 山号鐘銘には神降山とあり
明治42年、鎌八幡宮を丹生酒殿神社に合祀
昭和10年、丹生都比売神社の摂社となる(戦後に独立)