能登生国玉比古神社 石川県七尾市所口町 式内論社(能登国鹿島郡 能登生国玉比古神社)
旧・県社
現在の祭神 大己貴命
[配祀] 素戔嗚尊・奇稲田姫命
[合祀] 事代主命・底筒男神・中筒男神・上筒男神・建御名方命・多遅摩毛理命
本地 地蔵菩薩

「石川県鹿島郡誌」後編

能登生国玉比古神社[LINK]

○能登生国玉比古神社(字所口ハ部四十八番地鎮座)
当社は大己貴命(相殿には素戔嗚命と奇稲田姫命とを祀る)を祀り県社にして俗に本宮と称し別に
  所ノ口気多大明神、  気多本宮
  気多本宮地蔵大権現、 所口気多ノ社
  所口本宮、気多ノ社、など称せり、 即ち延喜式能登生国玉比古神社これなりと記載せり 社記に曰く祭神大己貴神は始め出雲国よりこの所口に着き給ひしが、当国鹿島路の湖水に毒蛇棲み人民為めに苦しめりと聞き給ひしより往きて之を退治し遂に羽咋郡竹津浦に垂跡し給ふ。 今の一ノ宮是れなりと。 是故に初め垂跡し給ひし当社を以て、本宮と称し奉ると 社殿は孝元天皇の御代創建せらる、
[中略]
○棟札
一、慶長三年戊戌年二月十一日
南無地蔵大菩薩気多本宮社領
造営
願主大鶴丸
藤松丸
二、慶長十八年二月十一日  社頭造営
三、慶長十八年二月十一日
木閣山
所口寺
奉修造気多本宮地蔵大権現守護処

「中世諸国一宮制の基礎的研究」

能登国

Ⅶ その他の国府関係寺社

<能登生国玉比古神社>
5 慶長3年(1598)12月の社蔵棟札に地蔵大菩薩が本地とみえ一宮気多社と同様である。
6 慶長18年(1613)2月の社蔵棟札に、神主伊予守定家(船木氏か)と並んで木閣山所口寺とあり、中世以来の別当寺と推測される。