奴奈川神社 新潟県糸魚川市一の宮一丁目 式内論社(越後国頸城郡 奴奈川神社)
天津神社の境内社
現在の祭神 奴奈川姫命
[配祀] 八千矛神
本地 十一面観音

「日本の神々 8 北陸」

奴奈川神社(青木重孝)

 当社は現在、糸魚川市街背後の小丘陵上に鎮座する天津神社の本殿の向って左側に境内社として祀られ、頸城郡の式内十三座(並小)の筆頭社「奴奈川神社」に比定されている(現在の祭神は奴奈川姫命と八千矛神)。 しかし明治十六年の『神社明細帳』によれば、当社は神代に高志峯(黒姫山)山頂に鎮座して奴奈川彦命・奴奈川姫命・黒姫命を祀り、「柳形社」と称していたが、のちに梯立(青海川上流に近い現青海町橋立)村へ、次いで元暦二年(1185)に蓮台寺と平牛の中間付近の山崎の地へ、最後に現在地へ遷座したという。
 また『特撰神名牒』には、「糸魚川駅鎮守一宮村天津社の域内柳田神を地主神と称す、此神は越後風土記説解に在高志峰(亦黒姫山)地津神男奴奈川彦命・女奴奈川媛命・母黒媛命三座祭、号柳形神(元暦二年秋山崎有遷座)云々とあり、土人の説に黒姫山絶頂に黒媛山社あり。背後梯立村に沼川神社ありしを、後山埼村字山埼に遷し、其後柳田と云に遷し、其後今地に遷せり、今も山埼に旧址あり、沼川の池あり」云々とあるが、この山崎(山埼)の地の低い尾根上に社地・みたらし池・稚児池などの旧跡があり、その西斜面一帯は「柳谷の田」と呼ばれている。
 他の諸書にも当社の社名を「奴奈川神社」と伝えるものが見当たらず(わずかに文化十五年〔1818〕の幟に「奴奈川神社祭礼 文化戊寅 春信陽松本魚問屋中 敬白」とみえる)、古くは天文十一年(1542)銘の鰐口に、すでに「柳田大権現 末社なり。本社と並ぶ。祭神大己貴命、本地十一面観世音」と記されている(「柳枝」「柳形」と記す書もある)。