乎加神社 滋賀県東近江市神郷町 式内社(近江国神崎郡 乎加神社)
旧・県社
現在の祭神 豊遠迦比売命
[配祀] 白山比売命
本地
宇賀大明神弁才天
白山権現十一面観音

「五個荘町史 第1巻」(古代・中世)

神々の世界[LINK]

 乎加神社は能登川町に属し、織山系東北端の佐生山と和田山が接するところ、和田山北側のふもとに山と向かいあって鎮座している。 祭神は宇賀神(倉稲魂・宇賀御魂命)といわれ穀霊、すなわち食物(稲)の神である。 現在では相殿に白山比売神、境内には五社神社、日吉神社、八坂神社をまつる。 地主権現は三の宮で本地は普賢菩薩、のち日吉十禅師を勧請し、白山権現が影向したと伝え、中世以降日吉社の勢力が深く浸透していたことを思わせる。 社伝によると、もとは能登川町の種村や河曲村・中村・簗瀬村など、五個荘町の村々が氏子区域になっていた。
 乎加神社草創の伝承は、永享年間(1429~1441)比叡山の僧玄棟が著した仏教説話集である『三国伝記』「江州佐野郷宇賀大明神御影向の昔の事」に詳しい。
 乎加神社の神は、佐野郷に住む長谷部太丸のもとに影向し、太丸が社殿を建ててまつった神である。 かれは、もと大和国泊瀬河のほとりに住み、のちに佐野郷に移り住んだ。 妻は川勝氏出身の女性で、夫婦の間に七人の子がいる。 家は貧しかったが夫婦ともに仏を信じ、世にへつらうことなく、在家の守るべき八戒をたもって生活した。 ある夜更けに、一五人の童子に囲まれた高貴な女性(女神)があらわれて宿を借りたいと願い出た。 太丸はこの女性が神であることを悟ったが、貧しい身を恥じて「この草屋にどうしてお泊めすることができましょうか」と断った。 しかし、女性は「断ることはない。わたくしを泊めたならは、汝と七人の子は七代富み栄えるであろう。わたくしがこの地にやってきたのは、地形が優れているためであり、よってここに影向したのである」という。 太丸は「なかなかに信じることができませんので、瑞相を見せていただけませんでしょうか」と願いでた。 そのとき女性は家の内に入り、たちまち六寸の白蛇と変じ、夫婦はこれを見てただちにその言葉を信じた。 一夜明けてみれば、七本の大杉が生え、井戸の水は酒となり、木の枝には金の実がたわわになっていた。 そののち夫婦の家は富み栄え、社を建ててかの女神をまつり、宇賀大明神と号したのである。 この話を知った天智天皇は神供料として朱雀の地を神料と定め、これが今の神郷である、というのである。

信仰の土着[LINK]

 乎加神社の祭神である宇賀神の本地は弁才天と説かれる。 弁才天は仏教の護法神で、密教の修法として弁才天法があり、さまざまな祈祷に用いられ、五穀豊穣、福徳の神として知られている。 また宇賀神は龍女であるとも、ダキニ天(訶梨帝母・鬼子母神)ともされており、福徳、子授け、安産、育児を祈って霊験あらたかな神である.
[中略]
 神々の勧請と信仰の物語は、天台系の僧侶によって作られ、語られる。 先にも述べた『三国伝記』では、地主権現三の宮の本地は普賢菩薩で、衆生の万行を勧めて十大願を成就したまい、勧請の神である十禅師は本地地蔵菩薩で無仏中間の導師として済度しない人はない。 影向の神白山権現の本地は十一面観音である、と日吉の神々の本地を語り、宇賀神の由来を説く。 「そもそも宇賀神と申されるのは、宇とは天をさし、虚空蔵ともいう。天をもって父となし、地をもって母となす。天は金剛界、賀とは地をさし、地をもって母となす、地は地蔵尊、胎蔵界である。神は観音といい、心は不二を体とし、蘇悉地である。この三才を兼ねて王とする。これを大弁才天如意珠王というのである。この神は天地の始め空王仏の御前に一の神咒を得てより以来、大福神となり、三世諸仏の化儀を助け、一切衆生の貧乏を救う」 また、「貧しいものはこの神に再拝して福徳をなすのである。なかんずく、日本国は三光天子(日吉社をさす)の奥路、八大龍王の海蔵なるがゆえに、弁才の霊験、宇賀の神徳はまさに堂々たり」と述べ、ゆえに当社を敬いまつるものは、たとい無福のものであっても、すみやかに福田愛敬を得て、もともと福貴のものはますます富み安穏を得るのでるという。 この説明は、中世比叡山の学僧であった光宗の著した『渓嵐拾葉集』(大正新修大蔵経)[LINK]に同様の内容が記されており、比叡山では一般的な解釈であったことが確認される。 宇賀神は稲荷神社では狐としているが、『渓嵐拾葉集』は弁才天を龍女であるとも解釈し、蛇となって現れると述べ、『三国伝記』に女神(宇賀神)が白蛇となったという伝承にひとしい。
 河曲の神は穀霊たる宇賀神とされ五穀豊穣を約束し、その宇賀神は弁才天として福貴を約束した。 また三の宮、十禅師、白山権現などの神々は普賢菩薩、地蔵菩薩、十一面観音を本地として、仏の力による救済を約束する。 僧侶たちは村人にとって身近な話―神の降臨と福貴の約束の物語をすることによって、いっそう神仏への帰依をうながしたことであったと思われる。