興玉神社 三重県名張市下比奈知 名居神社の境内社
現在の祭神 事代主命 <恵比須神社>・猿田彦大神 <興玉神社>・須佐之男命 <津島神社>・火之迦具土命 <愛宕神社>・市杵島姫命 <市杵島神社>・大物主命 <金刀比羅神社>・安徳天皇 <水天宮神社>・吉住盛暢・大道寺好信 <世直神社>
本地 十一面観音

「日本の神々 6 伊勢・志摩・伊賀・紀伊」

名居神社(森川桜男)

 宝暦十三年(1763)成立の『三国地志』は、名居神社を「下比奈知村に坐す、今国津大明神と称する是なり」と当社に比定し、つづいて「風土記(『惣国風土記』を指す)に大山祇神を祀ると云、今本郷の伝説と同じからずといへども、振古十月申日、山祇祭と称して大祭有り。(中略)且神体を大己貴命と云るもの其あらたまる由緒をしらず。其後社頭炎上し、また神体を本地作りにして、十一面観音を安置し、益其真を失ひ、古伝索然として求むるところなし」と記している。
 当社の境内東隅にはかつて興玉神社が鎮座していたが、山浅く道路に接し、通行人の牛馬に駕する者が必ず落ちて負傷するので、神威を畏んで東北約二丁の山奥清浄の地(小字新出、現興玉)に移された。 この社の祭神猿田彦大神は土を守る神として信仰され、境内の土を家屋敷に撒くと鬼門・金神の禍を除くとされて毎年十月申日の大祭は賑わいをみせたが、『三重県神社誌』は『三国地志』が名居神社の条に興玉神社の大祭を混入したと説いている。 また興玉神社の寛文九年(1669)の棟札[LINK]に「大山神十一面尊社頭秘文」とあることからみて、大山祇を祀り十一面観音を安置していたのも明らかに興玉神社である。
明治41年、名居神社の境内社・恵比須神社に興玉神社などを合祀し、興玉神社と改称