大日霊貴神社 秋田県鹿角市八幡平長牛  
現在の祭神 天照皇大神
本地 金剛界大日如来

「大日堂由来記」

大日堂御再興尊像彫刻御祭礼音楽の由来

人王四十四代元正天皇の御宇、美濃の国に醴泉湧き出で、 勅使下向有りて養老の滝と宣命有り。 年号改元養老元年と成る。 此時詔有りて、古代倭国醴泉湧きたると云ふ説有り。 諸国へ触流して其の実説を尋ぬべしと。 宣命に依り、当郡米白川の川上に醴泉湧き出で、 大日神の示現に依る長者となり、 其の娘継体天皇の御后に備へられ、 其の因縁による大日神社勅建有り。 今に祭礼怠らずこれ有る旨奏聞し奉れば、公卿詮議有りて、 醴泉湧き出るは天神地祇の感応に依りて生ずと有り。 因縁の者其の徳を得ると、旧記にこれ有るは漢土の例に任せ、 我が朝に其の礼行はれ、末世迄其の徳を残さるべしと、 奏聞遂げたれば、帝叡感有りて其の時の名僧行基菩薩へ勅詔有りて、 尊像彫刻は師の心に任すべし。 音楽祭礼は永く里俗に教え伝うべしと、 工匠・楽人を師に添えられ、当国へ下向し給ふ。
木曽路を経て出羽にかかり、比内独古村に旅宿し給う処、 其の夜夢中に偉人来りて、 「是より東の方に山越して、鹿角郡長牛村へ出る道有り。 長牛村へ着きて向ふの高山は我が住む所なり。 師彼所へ着き給わば、一木を以ちて अ{a} व{va} हूं{hūṃ}の三体の大日神を彫刻して、 小豆沢・長牛・独古三ヶ所へ立て給わるべし。 是我が故郷なれば万代に後を垂れんと思ふなり」 と云ひて去り給ふ。 師は頭上を仰ぎ奉れば、十一面大士なり。
[中略]
大日社再建造営有べしとて、国司へ勅詔の趣き達しければ、 不日に郡中へ下知を伝へ、杣入有り。 大日社は山根に有りたるを、今の社地へ移し奉り、九間四面に御造立なり。 師は本尊を彫刻し अ{a}字胎蔵界大日如来をば、小豆沢村に安置し奉り、 व{va}字金剛界大日如来は、長牛村に納め奉り、 हूं{hūṃ}字遍照胎蔵界大日如来をば、独古村に送り奉り、 其の外長者御夫婦並びに通力自在の四人の臣の六面を造り給ひ、 両部大日四大明王と称し奉り音楽に用ゐ、 長者結縁の者を以つて、末代迄伝ふべしと有りて御尋ね有り。 谷中村へ納め給ふ。