大井俣窪八幡神社 | 山梨県山梨市北 | 旧・県社 |
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現在の祭神 | 誉田別尊(応神天皇)・足仲彦尊(仲哀天皇)・息長足姫尊(神功皇后) |
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本地 |
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〔八幡宮〕(八幡北村) 今八村の鎮守なり 御朱印領弐百七拾石五斗余(六拾九石弐升九合九勺本宮修復料四石七升五合八勺摂社修復料四拾三石弐斗七升四合大宮司分六拾石九斗六升三合三勺社家分三拾九石四斗五升八合上之坊分五拾三石七斗七升九合社僧分) 社中三千四百三拾弐坪 除地的塲(東西三拾四間南北拾間) 自総門至鳥居塲(長八拾弐間横六間) 鳥居塲(東西拾間南北弐拾四間) 自鳥居塲至旅所(長六拾四間横六間) 旅所(東西八間南北拾八間) 大宮司社家屋敷千四百三拾弐坪 上之坊社僧寺中千四百二拾坪 大宮司社記に云所祀三座中殿は誉田別尊応神天皇なり 左殿は足仲彦尊仲哀天皇なり 右殿は気長足姫尊神功皇后なり 上之坊の社記に云応神天皇は本地阿弥陀如来なり 仲哀天皇は本地釈迦如来なり 神功皇后は本地地蔵菩薩なり 大宮司社記に云貞観元年(己卯)二月二十三日木工頭従五位上和気朝臣彜範に勅して豊前国宇佐宮より勧請あり 最初笛吹川の中島大井俣の地に頓宮を造り安置す故に大井俣神社と称す 後今の窪の地に遷座す故に窪八幡宮とも称す 上之坊社記に云康平中八幡太郎義家奥州より帰陣の時新羅三郎義家勧請の由云伝ふ