大前神社 |
栃木県真岡市東郷 |
式内社(下野国芳賀郡 大前神社) 旧・県社 |
「平成祭データ」
大前神社 由緒沿革概要書
社伝によれば、当大前神社は、芳賀郡と若色郷(若績郷)古聖、鏡田等地名の発祥地にして、社名祭神の霊跡に起源し、(社家別当代官の交代により、古代の創立の事、文蹟に詳かでないが)古くから大内庄三十三郷の総社として、宏大な社領の中に壮厳なる社殿を営み、大利根の支流鬼怒川、五行川、小貝川、三川の間湖沼に点在する田畑丘陵に恵まれ、農林漁労豊富な中心地に位置し、周辺非常なる繁栄の中に、北は氏家、南は常陸真壁郡一帯にまで崇敬圏が及び、延喜の制下野国十一社の内に撰定せられた式内名社である。
神護景雲元年社殿を再建す。
常陸国真壁郡坂東の東叡山黒子千妙寺の末寺として現存する大前山般若寺縁起にも「当山は大前山金剛院と称し、創立は清和天皇の貞観四年慈覚大師の開基にして、古聖に建立千妙寺と号せり。野州芳賀郡鎮守大前神社別当也云々」とある通り、古くから神仏習合し、薬師如来を配し本地堂を営み、明治初年廃仏毀釈まで神仏混淆す。
即ち代々の神職祠官祝詞を奏し玉串を奉り、別当は大般若経を転読し護摩を焚き、天長地久国家安穏、晴雨順次、五穀豊穰家内安全を祈願す。
爾来、豪族城主代官と、地元氏子民の力を合せ、代々その都度改築修理再建を重ねて今日に至る。