| 大崎八幡宮 |
宮城県仙台市青葉区八幡4丁目 |
旧・村社 |
「伊達政宗公ゆかりの寺院 その2」
真言宗別格本山 恵澤山龍宝寺[LINK]
龍宝寺は、文治年間(1186年)伊達家の始祖朝宗が、伊達家の祈願寺として勧請開山した。
龍宝寺の歴史は古く、征夷大将軍坂上田村麻呂の鐘銘から、802(延暦二十一)年造営された陸奥鎮守府が胆沢城のそばに創建されていたものと推察される。
祈願寺になってからは、中村から梁川、米沢、岩手沢と伊達家に随い居を移し、慶長三(1598)年ごろ政宗の仙台築城に伴って城北の現在地恵沢山に移創された。
政宗の願いにより境内に八幡宮を創建することになり、寺が米沢で護持していた成島八幡と、大崎氏が護持していた八幡神を、中興十一世実済和尚が合併して祀ったものが現在の大崎八幡神社である。
1604(慶長八)年八幡宮の開眼落慶法要には、数十名の真言僧侶が龍宝寺実済住職を導師として両界曼荼羅供を修法した。
当時は「恵沢山宝珠院龍宝寺」と称し、八幡宮は明治の神仏分離まで「龍宝寺八幡宮」と呼ばれていたし「どんと祭」も龍宝寺の正月行事であった。
藩制時代の龍宝寺は、藩内最大の真言本寺として八幡宮別当も兼ね、寺領二百七十石余と塔頭六院にいたるまで各十石余を賜り、八幡宮の祭事燈明料等を加えると四百八十石余と荘田等も附加された。
また城下最大の門前町(現八幡地区一帯)も与えられ、広大な寺領(広瀬町から国見一丁目まで)と末寺七十数ヶ寺と二庵(仙台三十三観音の札所観瀧庵もその一つ)を持つ大寺院であった。
このような大寺院にふさわしい本尊をと願って、四代藩主綱村は栗原郡金成村福王寺にあった釈迦如来像をこの寺の本尊とし、八幡神の本地仏ともした。
この釈迦像は、平安時代に奝然が宋(現中国)から持参した京都清涼寺の釈迦像を模刻したものであり、ガンダーラ様式の立像(162糎)である。
鎌倉初期の作といわれ、金成村の炭焼藤太が釈迦堂を建て、息子の金売吉次が京り砂金四十駄で買求めて祀ったものと伝わる。