大嶋奥津嶋神社 滋賀県近江八幡市北津田町 式内社(近江国蒲生郡 大嶋神社、奥津嶋神社〈名神大〉)
旧・県社
現在の祭神 [大嶋神社] 大国主命
[奥津嶋神社] 奥津島比売命
本地
奥津島大明神薬師如来

「近江蒲生郡志」巻六

島村 大島奥津島神社[LINK]

大島奥津島神社は島村大字奥島に鎮座す 共に延喜式神名帳加列の名神にして奥津島神社は名神大に大島神社は名神小に列す、
[中略]
大島神社の社殿は宝暦十二年に改築する所にして其以前の建築は寛喜三年八月の建立なりしを記す、 島上の鎮座なるにより幾回の兵燹は免かれたるを知る、 其後文化十一年奥津島神社の本殿と本地仏薬師堂とを建つ、
[中略]
棟札銘文
 文化十一甲戌ノ歳  長命寺山内
奉遷宮息津島大明神御本地薬師社頭安全如意処
 十一月十九日    実乗院主順覚記之

「近江・若狭・越前 寺院神社大事典」

大島奥津島神社

 奥島山の南麓にある。 古くは大島・奥津島の二社が別所に祀られていたが、のちに当地に合祀されたとする説もある。 祭神は大島神社が大国主命、奥津島神社は奥津比売命。 旧県社。 史料上は島郷之大宮・島宮などとも記される。 「新抄格勅符抄」に引く大同元年(806)の牒では大島神・奥津島神にそれぞれ封一戸が与えられている。 貞観元年(859)一月二十七日奥津島神従五位上に叙せられている(三代実録)。 同書同七年四月二日条には、元興寺(現奈良市)の賢和が「野洲郡奥嶋」の堂社を島神の神宮寺とすることを請い、許されており、これが当社後方の山中に建てられた別当阿弥陀寺(現廃寺)の始まりとされる。
[中略]
貞和三年(1347)六月二十八日の仏陀寄進譲状置文や貞治三年(1364)十二月八日の奥島大荒田寄進状などによれば、別当阿弥陀寺には常行堂、両社境内には地蔵堂・毘沙門堂があり、追善逆修供養のための田畑などの寄進が多くみられる。 中世末に別当阿弥陀寺が兵火により廃寺となって以後は、長命寺実乗院が社僧となり、文化十一年(1814)に社殿・本地薬師堂が再建された(棟札)。