大帯姫八幡宮 山口県柳井市日積 旧・郷社
現在の祭神 誉田別天皇(応神天皇)・足仲彦天皇(仲哀天皇)・気長足姫命(神功皇后)
[合祀] 大歳大神・大己貴神
本地 阿弥陀如来・釈迦如来・観世音菩薩

「柳井市史 各論篇」

郷村氏神の祭祀[LINK]

大帯姫八幡宮 日積字大里
 旧日積村の氏神である。 当社を大帯媛八幡宮と呼びはじめた因由は明白でないが、寛正・文亀・元亀・寛文・元禄の棟札にはすべて日積八幡宮、あるいは日積村八幡宮とあり、寺社記には大里八幡となっている。 大帯媛八幡宮の名は玖珂郡志および1722年(享保七)の棟札以降のことである。 郡志はこれについて「古ハ日積宮又ハ日積八幡宮ト称シ来リ、中古、大足注連八幡ト誤リシヲ近代大帯媛宮ト改号ナシ奉ル」とある。 文意が明らかでないが、大帯媛の名は古くからあって、何らかの由緒があるのであろう。 また郡志には筑前香椎宮と御同体とあるから、香椎からの勧請かと思われるけれども、社記には明らかに大内氏の時代、宇佐からの勧請となっている。
 宇佐宮は元来、八幡大菩薩宇佐宮・比売神社・大帯姫廟神社の三座を総称して宇佐三所の大神と称するもので、大帯姫廟は本宮の造立より九十六年後、香椎宮を移し祀ったといわれる社である。 当社も恐らくは何かの理由があって、この大帯姫廟を宗として宇佐八幡宮を勧請したものであろう。 祭神も中央に大帯媛尊を立て、左右に応神天皇と仲哀天皇を祭ってある。 また相殿神として日本武尊と武内宿祢を東脇に、事代主命と大巳貴命を北脇に祭ってある。
[中略]
 両部神道時代の仏体は「阿弥陀金仏座像長五寸、釈迦同長四寸、観音同長二寸、共に厨子入」とある。

神仏習合[LINK]

なお、神仏混淆時代における市内各神社の祭神仏体を示すと次の通りである。
位置 神社名 祭神 仏体 別当寺 摘要
伊保庄 賀茂神社 三毛入野命
別雷命
玉依姫
弥陀
釈迦
弥勒
初め 東光寺
次に 無動寺
永禄六年(1563)八月二十九日仏体造立
社僧助成寺、般若寺
八幡宮 神功皇后
応神天皇
三女神
観音
弥陀
勢至
無動寺  
相浦 賀茂神社 神日本磐余彦尊
武津見命
神武天皇
瓊々杵命
玉依姫命
別雷命
阿弥陀 木立像 一尺余
弥陀 金仏座像 六寸
無動寺  
土穂石 八幡宮 三女神
応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
弥陀画像 福楽坊  
柳井 代田八幡宮 応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
三女神
玉依姫命
弥陀木立像 六寸
観音 仝
勢至 仝
普慶寺  
白潟 春日神社 天児屋根命
武甕槌命
経津主命
姫大神
天押雲命
外ニ客人御前
釈迦木像 七寸
薬師 仝
地蔵 仝
観音 仝

文殊木像 八寸
普慶寺  
中馬皿 竜岩神社 伊弉冊尊
速玉之男命
事解之男命
釈迦 普慶寺  
日積 八幡宮 誉田天皇
気長足姫
足仲彦天皇
弥陀 金仏 五寸
釈迦 金仏 四寸
観音 金仏 二寸
別当寺の記載なし  
余田 八幡宮 応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
十一面観音 木立像四寸 福楽坊