大綱金刀比羅神社 神奈川県横浜市神奈川区台町 旧・村社
現在の祭神 日本武尊・大山津見神 <大綱神社>
[合祀] 大物主神・金山彦神 <金刀比羅神社>
本地 地蔵菩薩 不動明王

「江戸名所図会」巻之二(天璇之部)

飯綱権現社

神奈川台町、海道の右の山上にあり。 本覚寺より一町ばかり南なり。 別当は真言宗同所の万年山普門寺奉祀す。 祭礼は五月十七日なり。 飯綱権現、本地仏は不動明王、行基大士の作にして、座像一尺七、八寸、垂跡は大山祇命という。 相伝ふ、右大将頼朝卿石橋山敗軍の後、安房国へ渡海のとき、本尊の霊示によりて、風浪の難を逃れたまひ、その後、つひに天下一統なしたまひしかば、文治年間、この地に宮社造営ありて、神領などを寄せられたりしとなり。

「新編武蔵風土記稿」巻之七十
(橘樹郡之十三)

青木町

飯綱権現社

海道の西側にて上台町の境にあり、 社地は八九丈許の高き山なり、 [中略] 社伝に云寛永十九年伊奈半十郎忠治建立す、 今の社は安永五年太田備中守が再建せる所なりと、 本社七尺四方拝殿四間に二間、本社まで二間に三間の廊下をまうく、 この社も今は破壊に及びたれば、山下へ別に仮殿を構まへて神体を遷座せり、 こゝに勝軍飯綱権現の六字をかゝぐ、 山下に両控作の鳥居を立つ、両柱の間一丈許、 刻して云う慶安元戊子年八月吉日飯綱権現本地地蔵神主重之と、 社前に井あり是を供水に用ゆ 普門寺持、
末社 疱瘡神社 本社に向ひて左にあり、
稲荷社 同辺にあり、
聖天金毘羅合社 山の半腹にあり、こゝに金勝院と云修験者ありて祀を司れり、
舟玉社 坂の中腹にあり小祠なり
明治42年に大綱神社に末社・琴平神社を合祀、大綱金刀比羅神社と改称。